翻刻
神代紀(うみよのまき)に 海宮(わたつみのうみのみや)といへるは此玉なるべき事予か撰
する万象雑組の中地之部の條にくはしく 載(のせ)たり
此の 下郷(かたゐなか)に居る 土人(くにびと)ともは琉球とは云 ず屋其惹(おきの)
といふ蓋其玉の旧名なりと中山傳信録に見え
たり其地は薩州の南百四十里にあり南北長サ六十
里東西四十四里程ありとなり昔は國を三ツに分け
所謂(いはゆる)中山山南山北なり然るに大琉球中山第十二
世尚巴志といへる國王山南山北を 併(あは)せてより中山
一統(いつとう) は威 此玉に属する島三十六有り地圖は
三國通覧 説其他諸書に載たれは 畧(はぶ)きぬ
〇開闢の始《割書:附|》鎮西八郎鬼か嶌へ渡る説
中山世鑑に云琉球の始祖を天孫氏といふ其はじめ
一男一女自然に生出て夫婦となる是を阿摩美
久といふ《割書:中良案るに天皇なるへし|琉球には日本の右 多く侍れり|》三男二女を生めり長男は
天孫氏といふ國王のはじめなり次男は財産の始と
なり三は百姓の始となる長女を君々二女を祝々
といふ國の守護神ともなる一人は天神となり一人は
海神となる天孫氏の末裔二十五代世を保つ事
およそ一万七千八百二年にして断絶すと《割書:云々|》夫
鎮西八郎為朝の子舜天といふ者國王となる《割書:舜天の|子舜馬|》