天保郷帳を翻刻!

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陸奥国郷帳 7 - 翻刻

陸奥国郷帳 7 - ページ 44

ページ: 44

翻刻

一高百八拾弐石    《場所:五林村》 一高七百拾三石    《場所:中野目村》 一高五百弐拾九石四斗 《場所:西中野目村》 一高七百弐拾七石五斗 《場所:林崎村》 一高六百七拾三石四斗 《場所:横沢村》 一高四百弐石     《場所:境森村》 一高百八拾三石    《場所:大田村》 一高百八拾七石弐斗  《場所:大橋村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは五林村の高は344.025でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは中野目村の高は949.456でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは西中野目村の高は337.782でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは林崎村の高は680.989でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは横沢村の高は859.129でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは境森村の高は414.018でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは大田村は太田村で高は381.775でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは大橋村の高は14.761でここの高とは大きく違う。角川日本地名大辞典の青森県青森市の大橋村(近世)の項に『弘前本「天保郷帳」では18石余・・。明治初年の「国誌」によれば,後潟村の記事の中に,古跡として「大橋村跡,大橋村一村落なり,何の頃にか廃し,当村の始末となる」と見える。この頃には,当村は廃村状況にあったものと思われる。しかし,当村が吸収されたのは後潟村ではなく,六枚橋村である。明治7年の県管内村名簿によれば一村として見え,のち六枚橋村に合併したという印があり,明治9年頃六枚橋村の一部となったと思われる』とあるので旧高旧領の時はかなり廃れていたと思われる。】