翻刻
【右丁】
【句点と思われる「・」を「。」にす。】
荊州に着(つき)ければ。趙雲(てううん)第一の袋(ふくろ)を開(ひら)き看(み)て。五百人の
壮士(さうし)に計(はかりこと)を授(さづ)く。爰(こゝ)に又 呉(ご)の国に橋国老(けうこくらう)とて。至(いたつ)て正直成(せうちきなる)
人あり。孫策(そんさく)周兪(しうゆ)が舅(しうと)なれは孫権(そんけん)を初(はじ)め諸(しよ)人 尊(たつと)ぶ。玄徳
礼物(れいもつ)を持せ橋国老(けうこくらう)が家(いへ)にゆき次第(したい)を告(つげ)給ふ。橋国老玄徳に
対面(たいめん)して後(のち)。呉夫人(ごふじん)に見(まみ)へ悦(よろこ)びを申す。呉夫人 何(なに)事かと
問(と)ふ。国老曰。孫夫人(そんふじん)に劉玄徳を婿(むこ)とし給ふ由(よし)。玄徳此国に来り
給ふ。呉夫人 曽(かつ)てしらず。孫権(そんけん)を呼(よ)び大に怒(いかつ)て曰。汝(なんぢ)妹(いもうと)を以て
玄徳に嫁(めあは)せんとす。何とて初(はしめ)より知らせず。汝(なんぢ)吾(われ)を母と思はゝ。先(まづ)吾(われ)
に問(とふ)て其後事を行(おこな)はざるやと。以の外(ほか)に怒(いか)り給へば。孫権 元(もと)より
大 孝行人(かう〳〵じん)ゆへ母(はゝ)の怒(いか)りに依(よつ)て。玄徳(げんとく)を実(じつ)の婿(むこ)とす。又 周喩(しうゆ)が
謀(はかりこと)にて金屋(きんおく)朱門(しゆもん)綾羅錦繍(れうらきんしう)をつらね。美(び)女 数(す)十人 孫(そん)夫
人と昼夜(ちうや)遊楽(ゆふらく)せしめ心を蕩(とらか)さしめて是を殺(ころさ)んとす。時に
趙雲(てううん)。孔明が与(あた)へし錦嚢(きんのふ)年(とし)の終(おはり)に開(ひら)き見よと云。第二の
嚢(ふくろ)を披(ひら)き。其 旨(むね)を覚(さと)り。玄徳に暁(さと)して曰。曹操五十万
【左丁】
の勢(せい)を以て荊州を攻(せむ)るのよし。孔明(こうめい)早船(はやふね)を以て告(つぐ)ると。依之(これによつて)
玄徳 孫(そん)夫人と謀(はか)りて。春正月朔日 先祖(せんぞ)の祭(まつり)に事(こと)よせ。孫夫人
は車(くるま)にのり。玄徳は馬(ば)上にて数(す)十 騎(き)を従(したが)へ。趙雲(てううん)が五百の勢(せい)
と。南徐(なんぢよ)を離(はな)れて熊と陸路(りくぢ)より逃(のき)給ひぬ。孫権(そんけん)怒(いかつ)て
陳武(ちんぶ)潘璋(はんじやう)に五百の精兵を授(さづ)け。二人共に捕(とら)へ来れと下知(けぢ)
しける。玄徳は漸(やう)〳〵(〳〵)柴桑(さいさう)まで落(おち)給ふ処に。跡より五六百 騎
飛(とぶ)が如(ごと)く追(おい)来(きた)る。趙雲(てううん)が曰。君はさきへ落給へ。某(それかし)一 軍(いくさ)せんと
云ける時。向より又。一手(ひとて)の勢来る。玄徳前後の敵(てき)あり。進退(しんたい)
極りける時。第三の嚢(ふくろ)を開(ひら)き見。計(はかりこと)を孫夫人に告(つげ)給へば。孫
夫人追手の兵を退(しりぞ)け給ふ所に。孔明兼て商人(あきひと)船に精兵
を隠(かく)し相待。事ゆへなく荊州(けいしう)へ帰り給ふ
関羽(くはんう)単刀(たんたう)にて呉(ご)の会(くわい)に赴(おもむく)
関羽 身長(みのたけ)九尺五寸 髯(ひげ)の長サ一尺八寸。面は重棗(てうさう)のごとく世に。
美髯公(びぜんこう)と称す。劉(りう)玄徳の弟なり。玄徳 巴蜀(はしよく)を取て関羽