翻刻
【右丁】
【句点と思われる「・」を「。」にす。】
とならば我に一物ありと。懐(ふところ)より封(ふう)じたる割符(わりふ)を取出し。往(その)
日(かみ)漢王(かんわう)に別(わか)るゝ時。破楚(はそ)大元帥(たいげんすい)をたづね得(え)ば。此(この)割符を以て
すゝめ遣(つかは)すべしと蕭何(せうが)と約(やく)をなせり。将軍(しやうぐん)赴き給はゞ漢王(かんわう)
重(おも)く用ひ給ふべしと。又 残道(ざんたう)の地理(ちり)の図(づ)を渡し。次(つぎ)の日張
良は出去(いでさり)ければ韓信(かんしん)は漢中(かんちう)へ赴(おもむ)きけり
玄徳(げんとく)躍(おどらして)_レ馬(むまを)跳(こゆ)_二檀溪(だんけいを)_一
劉備(りうび)字(あざな)は玄徳(げんとく)後漢(ごかんに)景帝(けいてい)の元孫(げんそん)涿縣(たくけん)の人(ひと)。母(はゝ)に事(つかへ)て孝(かう)
を尽(つく)し。履(くつ)を售(うり)蓆(むしろ)を織(おり)て家業(かげう)とす。身(み)の長(たけ)七尺五寸左右
の手(て)膝(ひざ)を過(すぐ)る。又身の長九尺五寸 髯(ひげ)の長(なが)さ一尺八寸。河東(かとう)の人(ひと)
関羽(くわんう)字(あざな)は雲長(うんてう)。扨又。張飛(てうひ)身の長八尺。此三人 桃園(とうゑん)に義(き)
を結(むす)んで兄弟と成。黄巾(くわうきん)の賊(ぞく)を破(やぶ)りし軍功(ぐんこう)に依(よつ)て。予(よ)
州(しう)の牧(ぼく)に補(ほ)せられ給ふ。曹操(そう〳〵)といふ者(もの)。漢(かん)の天下を奪(うばは)んとす
るを悪(にく)み。義兵(ぎへい)を興(おこ)し。当陽(たうやう)の長坂波(てうはんは)に曹操(そう〳〵)と戦(たゝか)ひ
勢(せい)少(すくな)く打負(うちまけ)て。荊州(けいじう)の劉表(りうへう)を頼(たの)み居(ゐ)給ふ。劉表弟と
【左丁】
称(せう)して。襄陽(じやうやう)の新野(しんや)城を守(まも)らしむ。劉表(りうへう)病身ゆへ荊州(けいしう)を譲(ゆづら)
むといへども。玄徳(げんとく)うけ給はず。劉表の妻(さい)の兄(あに)蔡瑁(さいぼう)と云(いふ)もの。国の政(まつり)
ごとを専(もつはら)にす。劉 表(へう)玄徳に国(くに)をゆづらんといふを聞(きく)。玄徳を置(おき)ては。
後(のち)の災(わざわい)と蔡夫人(さいふじん)と計(はかり)て襄陽(せうやう)の会(くわい)を催(もよほ)し。玄徳を招(まね)きけるに。
玄徳 何(なに)の心(こゝろ)もなく来り給ふ。蔡瑁(さいぼう)仕(し)すましたりと悦(よろこ)びぬ。酒(さけ)三
巡(じゆん)に及ぶ時。伊藉(いせき)といふ者 盃(さかづき)を取て玄徳のまへにゆき。屹(きつ)と目(め)く
ばせして衣(ころも)を着(き)かへ玉へと云ければ玄徳其心を悟(さと)り厠(かはや)へ行 体(てい)にて
出給へば伊藉 私語(さゝやき)けるは蔡瑁君を殺んとて城外三方には皆
大 勢(ぜい)を伏置(ふせおき)たり。只 西(にし)の門 計(ばかり)担溪(だんけい)を頼みて伏(ふせ)勢を廻(まは)さず。此 道(みち)
より落(おち)給へと告(つ)ぐ。玄徳悦び。的盧(てきろ)の馬に乗(の)り。担溪(だんけい)に到(いたり)り【衍】見(み)
給ふに白波(しらなみ)天に漲(みなぎ)り渡(わた)るべきやうなし。後(うしろ)をかへり見給へば。敵軍(てきぐん)はや
背(せなか)にあれば。馬(むま)をさつと打(うち)入れ。馬の頭(かしら)をたゝき。的 盧(ろ)々々(〳〵)努力(つとめよ)やと
宣(のたま)ふに。此馬 忽(たちま)ち一 躍(おどり)三 丈(じやう)飛(とん)で西(にし)の岸(きし)に襄(あが)る。玄徳 茫然(ばうぜん)として雲霧(うんぶ)の
中を行(ゆく)がごとく危(あやう)き難(なん)を遁(のが)れ玉ふ。後(のち)に蜀(しよく)の皇帝(くはうてい)と成給ふは此 人(ひと)なり