翻刻
【上段】
頃は嘉永七とらの十一月
五日六ツ半時よりしはい丁
へんよりしうかいたし山之し
く六けん丁花川戸町木戸
ぎはより七八けんやける三ツ
又より聖天町丸やける
と手のちてつやける山谷の
はしとまる聖天よこ丁
より竹門百かんのう地内
かいん寺丸やけたぬきな
かや焼るでんりういんめう
とく寺やふの内丸やける
本所水戸さま上しんじ
小梅おぐらあんにてとま
る松倉町とひしにてやける
七ツ半時しつまり人々あ
んとのおもへおふし
【下段】
嘉永七寅年四月六日京都出火の事
禁裏御所の北方大宮御所の下官より出火致午の
上刻より辰巳風つよく内裏に火うつり諸御てん内侍所
紫宸殿等一時にもへ立此火御公家衆の御館にかゝり
北方は今出川通迄二条様残近衛様表門へ火うつり候■【処?】
薩州御手勢にて宜防候ゆへ御殿のこる依之北方は今出川
通東は仙洞御所寺町より西千本通迄此町数廿六丁
御公家衆方《割書:数多きゆへ|しるしがたし》御花畠閑院宮椹木丁通り九亀
御やしき類焼今日諸御大名方御手勢を以火を消候へども
火勢強く水戸様仙台其外備前様淀稲葉様丹羽
左京様其外御大名やしき廿六軒類焼此日御火消相働
候へ共何分大火にて六日の一夜焼通し二条御城所司代
御やしき向迄焼其中には堀川通姫路御やしきの北にて火
止り翌七日に猶西方へ火うつり此間の武家方あまた類
焼右六日より七日の未刻に火しづまり申候家数一万三
千五百軒類焼前代未聞の大火にてあらましを書印申候