翻刻
向の嶌路へ中にも近き所にて渡しあり嶋路通
村ゟ此小牧瀬嵐へ五六丁あり則高茂の渡しといへり
昔七尾の城主畠山義則と申て風流の人にて其
頃歌道の秀才月村斎宗碩抔招きて此瀬嵐の
二嶋を須磨の明石の浦に疑(ギ)して人丸の廓宇を建
て時々の風詠ありて其折万水一露深抄抔の
歌書も此家より出たりかゝる亭荘廓宇も程なく
兵乱に灰ちりとはて礎のみ近きまて残りありしと
いへり又所に人丸の哥とて云ひ伝へり
しら浜の松の梢にてる月の
爰そ越路の哥のたねしま
此哥万葉抔になし若も宗碩抔の風栄詠かいかにや白浜
村は此嶋の西にあり礒岡山は白浜の御林とて大成
松山なりしに近年大風に松不残折てなし誠に
海上より岡の上の詠言語にも断したる所也其後
数十年を経て金城の浅井政右といへるか和倉湯
治の折から此辺り逍遥あり此嶌の人凡の廓宇跡
にて一ッの片名を得て家に帰り月村名と号て