能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 14

ページ: 14

翻刻

向の嶌路へ中にも近き所にて渡しあり嶋路通 村ゟ此小牧瀬嵐へ五六丁あり則高茂の渡しといへり 昔七尾の城主畠山義則と申て風流の人にて其 頃歌道の秀才月村斎宗碩抔招きて此瀬嵐の 二嶋を須磨の明石の浦に疑(ギ)して人丸の廓宇を建 て時々の風詠ありて其折万水一露深抄抔の 歌書も此家より出たりかゝる亭荘廓宇も程なく 兵乱に灰ちりとはて礎のみ近きまて残りありしと いへり又所に人丸の哥とて云ひ伝へり       しら浜の松の梢にてる月の        爰そ越路の哥のたねしま 此哥万葉抔になし若も宗碩抔の風栄詠かいかにや白浜 村は此嶋の西にあり礒岡山は白浜の御林とて大成 松山なりしに近年大風に松不残折てなし誠に 海上より岡の上の詠言語にも断したる所也其後 数十年を経て金城の浅井政右といへるか和倉湯 治の折から此辺り逍遥あり此嶌の人凡の廓宇跡 にて一ッの片名を得て家に帰り月村名と号て