翻刻
三郎助といふ百姓の前なる平石といふ上へあかり給ふを
馬の愛宕といふ山へ移奉る今も蛸のことくいふて十二
月三日に毎年祭あり又奇瑞ありて今の社地へ移し
奉る也当社宝色々有月星の国とて有此国は此
村の谷内ゟ出たる所を明星の谷内とてあり宝釼の
銙とて有又牧の駒有て此所の池水に来りて住む
駒あり是を此神馬にしてありしに類ひなき名
馬ありけれは時の将軍頼朝卿へ召れ名を池好(イケスキ)
と呼ひ蔵有しは此馬也其時の頼朝卿の下し文の
判形の物有并に梶原等の判形の添状有其外略
す神主船木氏也今も此池好の出し所を牧山とて
牧野之跡あり又此村に蝦夷の岩屋とてあり昔蝦夷
の大男とて略人の住し洞といへり又別所村とて山の
中に一村有此村へ行道に牛の爪坂とてあり是に
蝦夷の大男の手の跡とて石に有又須曽村衣川とて
あり鮭の魚多あかりしを蝦夷の大男取て食物に
せしにある時臥り行者来り大男にさけの魚をくれと
ありしに大男惜しみて得させす其時行者