能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 38

ページ: 38

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三郎助といふ百姓の前なる平石といふ上へあかり給ふを 馬の愛宕といふ山へ移奉る今も蛸のことくいふて十二 月三日に毎年祭あり又奇瑞ありて今の社地へ移し 奉る也当社宝色々有月星の国とて有此国は此 村の谷内ゟ出たる所を明星の谷内とてあり宝釼の 銙とて有又牧の駒有て此所の池水に来りて住む 駒あり是を此神馬にしてありしに類ひなき名 馬ありけれは時の将軍頼朝卿へ召れ名を池好(イケスキ) と呼ひ蔵有しは此馬也其時の頼朝卿の下し文の 判形の物有并に梶原等の判形の添状有其外略 す神主船木氏也今も此池好の出し所を牧山とて 牧野之跡あり又此村に蝦夷の岩屋とてあり昔蝦夷 の大男とて略人の住し洞といへり又別所村とて山の 中に一村有此村へ行道に牛の爪坂とてあり是に 蝦夷の大男の手の跡とて石に有又須曽村衣川とて あり鮭の魚多あかりしを蝦夷の大男取て食物に せしにある時臥り行者来り大男にさけの魚をくれと ありしに大男惜しみて得させす其時行者