翻刻
なけきしかは行者の曰其米を我師へ捧し也石動山へ
行我市師へ其事を申へしと有けれは浄定山上しけるに
石動山の講堂の前に千石の米積て有浄定是より
法身して泰澄大師仕て木樵水汲有て難行せしと
也されは泰澄に浄定臥りの二行者ありて泰澄の
曰浄定の身行は安し臥りの心行はかたしとありし
といへり其鉢の子の至る所を今鉢ヶ崎村といふ又は
日出ヶ嶋村は筆か嶋なりひふの通のあやまりにや
今日出ヶ嶋といへり此能登にはひふの仮名物ことに
違ひて喩一はやねふくをひくといひ細引をふく
といへり是も沖に机嶌とてあり是に対して筆か
嶋を今日出ヶ嶋となれり
実も此所の風景にめてゝ
およひなき筆の浦半の枩のいろ
又野崎村御蔵所にて高札場あり嶋路にて千石高は
此村と向田計なり
又向田村は大村にて伊夜彦神社立給ふ大社也御神躰
八幡宮なり昔御神躰十二月三日蛸にのりて此村の