能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 37

ページ: 37

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なけきしかは行者の曰其米を我師へ捧し也石動山へ 行我市師へ其事を申へしと有けれは浄定山上しけるに 石動山の講堂の前に千石の米積て有浄定是より 法身して泰澄大師仕て木樵水汲有て難行せしと 也されは泰澄に浄定臥りの二行者ありて泰澄の 曰浄定の身行は安し臥りの心行はかたしとありし といへり其鉢の子の至る所を今鉢ヶ崎村といふ又は 日出ヶ嶋村は筆か嶋なりひふの通のあやまりにや 今日出ヶ嶋といへり此能登にはひふの仮名物ことに 違ひて喩一はやねふくをひくといひ細引をふく といへり是も沖に机嶌とてあり是に対して筆か 嶋を今日出ヶ嶋となれり    実も此所の風景にめてゝ  およひなき筆の浦半の枩のいろ 又野崎村御蔵所にて高札場あり嶋路にて千石高は 此村と向田計なり 又向田村は大村にて伊夜彦神社立給ふ大社也御神躰 八幡宮なり昔御神躰十二月三日蛸にのりて此村の