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翻刻
二〇〇
建てた式社二十六座夫々の道しるべが建つてゐます。
此山は全山巨岩で殊に山頂に巨大なものがある事や以前石纏の文
字を使つた事などから、本宮山と同様山岳崇拝或は巨石崇拝によつ
て起つた社と考へられます。本社のある神郷は和名抄にある美和郷
に当り、神をミワと呼んだもので、この例は蒲郡町赤日子神社の所
在地を上の郷即ち神の郷としたのと同様でせう。
文徳実録仁寿元年十月三河国石纏神授従五位下とあるのがそれで
奥宮を上社、本社を下社と呼びまして、上社は古田氏、下社は大木
氏が奉仕して来たといふ記録があります。代々の吉田城主が篤く崇
敬しまして、社殿は三河聞書に天文廿三年上社を造営したとあり官
社考集説に天文十六年下社を造営したとありますが、今の社殿は何
れも近代のものです。本社にも砥鹿神社と同様管粥の神事がありま
して、其年の五穀の豊凶を占ひ、農家はこれによつて其年の計画を
立てゝゐます。
伝説によりますと、昔この山と本宮山とが高さを争ひ、其解決に
山頂から山頂へ樋をかけて水を流しました処此山の方へ流れたので
石巻山の方が敗けにきまりました。それ以来この山に登る者は大小
に拘はらず石一つ持つて登ると御利益があり、反対に一つでも持つ
て帰ると神罰を蒙るといひ伝へて居ります。珍らしいのはこの山中
に陸産の巻貝二三種が棲む事で、これは大体が石灰岩で出来てゐる
関係からださうです。
この山の裏手嵩山といふ処に巨刹があります。
正宗寺 といふので、この寺は支那僧日顔といふ者が永仁年中
に開創したものと伝へます。此附近の地勢が達磨大師の遺跡である
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