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翻刻
二一二
長天王像や楽器散しの文様ある和鏡、文治三年から建久三年迄かゝ
つて厳朗といふ僧の筆写した一筆写経の、大般若経、文安四年の陀
羅尼経版木、大永六年の馬頭観音版木などから、古文書では田原戸
田氏関係文書、今川家関係文書、徳川氏に関するもの等実に豊富で
す。境内は頗る広濶で奥庭に芭蕉の句碑があります。
「道のベの木槿は馬に喰はれけり」
の句で、寛政庚申之夏洛柳後苑野狂の署名がありますが、それに
よると同寺にこの句の真蹟と翁の念持仏でありました西行上人の像
が納められた事になつてゐます。
そこでこのやうな立派な寺がどうしてこんな田舎にあるかと申ま
すと、これは東海道から分岐しまして渥美郡を縦断する往還があり
その先は船で伊勢へ交通があつた事と、今一つは宝飯郡小坂井の渡
津駅から牟呂の坂津へ渡つたとしまして其侭東南に進みますとこの
東観音寺へ出ますので、これが奈良朝から平安朝へかけての官道で
あつたからかとも考へられます。この渥美郡方面は次回に譲りまし
て今回は簡単ながらこれにて擱筆致します。 以上
二一三