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翻刻
二一六
下す事が出来ます。
王塚古墳 はこの磯辺にありまして、小字を王ヶ崎といふ処です
これは弘化三年に偶然発見しまして、その際色々の器物を発見しま
したが、崇【祟の誤植か】りを恐れ再び埋葬したといふ記録があります。そして大
正十一年五月渥美郡史編纂に際し資料を得る為に再び発堀をやりま
して、十四五点の遺物を得ましたが、特に珍らしいのは椎頭の大刀
一振と、狛剣と呼ぶ双龍環頭の大刀一振が出ました事で、是等は国
家の所有として当然帝室博物館へ収蔵される筈なのを、当時の歴史
課長文学博士高橋健自先生の御厚意でそこの小学校に保存される事
になりました。
十三本塚 は富本町にあります。この町名は十三をトミと読んで
合併当時新たに命名されたもので、此処は永禄七年吉田の城代小原
肥前守鎮実が、龍拈寺口で殺した人質十三人を埋めた処だといひま
すが、大口氏によりますと、このとき鎮実の殺した人質は十三人許
りでなく、又永禄三年にも永禄五年にも人質を殺してゐるさうです
から信用し兼ねると思ひます。恐らくこれは小規模な古墳でもあつ
て名付けられたのではないかと思ひます。一説には天平の頃一人の
行者が来て潮音寺の観音堂に参籠し法華経を書いて十三の塚に分ち
納めたといひますが、附近に経塚といふ地名の残るのも不思議です
高師小僧と長葉石持草 高師から老津、二川へかけての原は高
師原で、所々に村落が介在してはゐますが大体二里に三里位の広漠
たる原野です。こゝで食虫植物として知られた長葉の石持草と、水
酸化鉄の固りである高師小僧を産します。私は二川町から雲谷へ行
く途中でこの水酸化鉄の一種を採集して居りますが、その分布は相
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