← 前のページ
ページ 124 / 154
次のページ →
翻刻
二四四
なつたといひますが、この点から見ましても海部系の神様である事
が知られます。社殿は流れ造り檜皮葺で、拝殿が妻入である事が注
意されます。
今の建物は余り古くありませんが棟札には応永廿一年、永享十一
年、天文十五年、天正八年などあり、宝物の古鐘は享徳元年在銘の
もので、当庄刺吏細川刑部少輔源朝臣藤原政家の名があり、又永禄
元年在銘の鰐口は慶応三年に近くの山中で発堀したものです。又大
同類聚方には此社の伝方として母良世薬といふを載せて居ります。
これはそこの村瀬貫名に伝へられたことになつてゐます。
次はこの社と殆んど相対して居る大恩寺です。
大恩寺 は浄土宗の大寺で、古くは新宮山の麓にあつたのを延
徳二年に遷したといふ事でして、其頃は大運寺といひました。当時
の往【住】職は愚底上人で後に岡崎大樹寺の開山となつた人です。松平親
忠が非常に信仰して本堂其他を再興し、阿弥陀の仏像を寄附して居
ります。本堂は最近のもので単層入母屋造り、設備は立派ですが取
立てゝいふ程のものでなく、山門の重層入母屋造りの方が遥かに優
つてゐます。
左側にある阿弥陀堂は今国宝に指定され、天文廿二年の建築で、
初め杮葺であつたのを後に桟瓦葺に改めましたから外観が少し重苦
くし【しく】見えます。然も構造も手法も中々立派なもので、組物が極彩色
であつたり、柱間に詰組があつたりする処は実によい感じです。そ
れに内陣が三間二面で廻廊が化粧屋根裏である事がこの建物の特色
で、繋拱梁も面白い出来です。正面の須弥擅は様式から見ても確か
に天文頃のもので、其屋根にある鯱と三花懸魚とは我国に現存せる
二四五