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翻刻
二四六
最古の実例として珍重すべきものだとも聞きました。
宝物も沢山ありますが、中に王宮曼陀羅一幅が国宝に指定されて
ゐます。これは絵の中に皇慶元年二月とありますから支那伝来品で
せうが、作者の名は分りません。観無量寿経の説相が描いてありま
して摩掲陀国王舎城の阿闍太子と其父母についての因縁を表し、そ
れが城内王宮に起つた事なので王宮曼陀羅の名がついたといひます
これは松平親忠が寄附したものです。
外にこれに準ずるやうな絵画も二三点あり、又古文書では明応三
年三月五日と明応八年三月廿三日の綸旨が二通、牧野右馬允の消息
徳川家康の消息、文亀四年山県三郎兵衛の制札などがありますが、
それ等が何れもこの寺の歴史に関した物許りで実に得難い資料であ
ります。
国坂越え は御津村広石から宮路山の南麓金割を通つて蒲郡町の
五井に出る古い街道で、この沿道には奈良時代の創立と思はれる弥
勒寺址がありますし、五井長泉寺は神亀年間の創立と伝へる外、附
近には長者の伝説も残り、今日余り利用されない通路ですが歴史的
には興味津々たる処で、一度は杖を曳いてよいと思ひます。
これから三谷、蒲郡へは勿論鉄道も通じてゐますが陸路では平坂
街道が通じてゐます。途中の大塚村は其名が示すやうに古墳が所
々にありまして、発堀されたのもあればまだ未発堀もあり、深く
研究されてゐませんので早晩この方面は研究者の好目標となりま
せう。現に数年前三谷町の一青年が突然神懸り状態となつて、我
は氏神の主筋に当る田上塚である、どうか我を氏神として呉れる
やうと口走つたので大変な評判となり、見物人が押しかけた事が
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