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翻刻
二五二
竹島の名が起つたといひます。八百富の名は享保廿年八月、時の神
祗伯が命名したものださうです。
この海岸一帯は海水浴の名所である許りでなく風景佳絶で、国際
観光ホテルもあり遊覧設備も着々進行中でありますから、将来は東
海の一名勝として喧伝されるでありませう。
この蒲郡はもと蒲形西郡二村を合せた名で、その蒲形には蒲形城
址があつて、建久年間安達藤九郎の築城したものといひます。又
上の郷、五井、不相にも城がありました。この町で見るべきもの
は赤日子神社、安楽寺、天桂院などであります。
赤日子神社 は神の郷にある延喜式内社で、文徳実録及三代実録
に三回程叙位のことが見え、国内神明帳には正二位赤孫大明神と載
つて居ります。境内の風致もよく社殿も立派です。
社伝によりますと昔此社から神宮へ神御衣祭御料の麻を献じた、
それが三河赤引糸だと申して居りますが、本社の祭神が海部系統の
神であること、穂国の中心から距れてゐる事及び赤引とは絹糸に負
せた名である事などから推して信用し兼ねる説だと思ひます。
大体この地方は地形から見ても一種変つた処で、延喜式又は和名
抄以来宝飯郡に属してはゐますが、三河と穂の二国に狭まれた小独
立国の観があり、それが熊野によく似た状態である許りでなく、熊
野新宮の別当行範の男十郎蔵人行家は五井城を築いて居りますし、
又供僧常香の後裔鵜殿藤太郎長門は神の郷に城を築いて居りまして
非常にその地方と関係が深く、この社が海部神を祀つてあることも
実は当然で彼等に養蚕の技術があつた事はどの方面にも伝へられて
ゐません。
二五三