← 前のページ
ページ 134 / 154
次のページ →
翻刻
二六四
然紀念物では鳳来寺山と蒲郡の竹島、川合の天然橋でありまして、
此れ等が東三河の代表物と云ふべきでせう。
景観としては、その竹島と天然橋へ日出の石門を加へて東三の三
景と申してもよく、これに次ぐものが鳳来峡の秋色かと思ひますか
其の外本宮山頂の眺望、史実と伝説に富む宮路山の紅葉なども棄て
難いものです。
古社寺の方では延喜式に載る官社が八社ありますが、何れも小社
で其の筆頭が一宮砥鹿神社です。今国弊小社になつてゐます。寺で
は国分寺と、小坂井町の医王寺、御津村の弥勒寺は奈良時代栄えた
寺と思ひますが、現在では世間的に有名な豊川閣と安達藤九郎の所
謂七御堂が僅に残る程度に過ぎません。
歴史の徴証としての金石文では、最古のものが前にも申しました
久寿三年の普門寺経筒で、寛喜二年の大塚寺の古鐘もよく、慶長以
前のものは約三十点を数へる事が出来ます。又棟札の類には室町時
代頃からのものが所々に残り地方誌に確実な基礎を与へてくれます
最後に今一つ申上げたいのは北設楽郡稲橋村と渥美郡福江町にそ
れ〴〵献糸会がありまして、神宮に於ける神御衣祭御料の糸を献つ
てゐる事で、これは古く三河赤引糸を召されたのですが長く中絶し
てゐましたのを、明治十二年稲橋村古橋源六郎氏が復興を願ひ出て
組織し、又明治三十五年には福江町渡辺熊十氏が願ひ出で組織した
ものでこの福江の献糸会へ大正十三年から知多郡半田町も参加して
居ります。これは他に類例のない東三河独特のものでありまして、
国体観念の上から或は産業振興の立場から大に誇つてよいものと信
じます。
二六五