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翻刻
九四
れた其切れ口を利用して、天和年間に山田宗偏が設計して作つたと
いはれて居ります。その池中の弁天社は宝政頃の建築で三間二面の
入母屋造り流れ向拝で、二重軒三斗である点など割合に整つた建物
と云へませう。石の反橋も其頃に出来たらしく、石灯籠には寛文の
ものもあります。正面の木の鳥居、これは昭和五年神宮式年御造営
の撤下品を頂いて作りましたもので、明治三年御造営の際に頂いた
のと建換へたものです。
島にある芭蕉句碑は昭和七年豊橋趣味曽【會の誤植カ】の発起で建てられました。
句の
「寒けれど二人旅寝ぞたのもしき」
とありますのは翁の卯辰記行に、みかはの国保美といふ処に杜国が
忍びてあるをとぶらはんと先づ越人に消息し、鳴海より後さまに二
十五里尋ね帰りてその夜よし田に泊る、とありますからその帰途の
吟でありませう。
それから本社には元四月十四日におんぞ祭りといふが行はれました
これは元和頃に初められたといひますが明治の初年まで続いた祭で
本社を中心に殆んど全市的の祭りでした。
先づ四月十一日から全市挙つて機織りや裁縫を休み、十二三歳以下
の女子が着飾つて大勢で歌を唄ひながら町々をねり歩きます。十二
日も同様、十三日になると遠州の岡本村から大神宮に献るおんぞが
送られて来ます。それを町役人以下大勢が牛川町まで出迎へ、受取
つて帰ると本社に安置し、翌十四日御祈祷をして諸人に拝ませた上
天候を見定めて船で伊勢へ御送りしたのです。これをおんぞと申し
ましても、神宮で神御衣祭に上る御衣ではありません。大方浜名神
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