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からです。線路を越した所に、むくの大木があつて目通り二丈五尺
に達し樹勢も旺んで天然紀念物に指定されてゐます。
此社の西南に當る台地の端では先年貝塚を發見し二三の遺物を得
ました。此台地に添うて伊奈から一宮附近までは先史時代の遺物が
時々發見されまして、その遺跡であることが分ります。全く後が山
林で前に海を控へ、日當りのよい暖い岸邊には清水が湧き、此時代
人の惠まれた生活を想像すると、そぞろに昔が戀しくなります。
光輝庵【ゴチック見出し】は町の北裏にありまして、舊長岡藩主が祖先の牧野右
馬允の追福の為に建てたもので、寺號はその法名によつたものです【行末句点省略】
裏の方にその墓地があつて一基の碑が淋しく立つて居ります。
中條神社【ゴチック見出し】もこの町の東部にありまして第一信に申上げた森村昌
林寺の鐘は最初このお宮に上げたものでした。こヽは以前の南金屋
で、北金屋と共に大和から移住して來た鍛冶職のものがゐた處で神
社はそれ等のものが金山彦神を祀つたものです。この南金屋の鍛冶
職は後に吉田に移り鍛冶町となり、北金屋の方は中尾家によつて鑄
造の業を續けられ今は一家だけですが寛永頃には四家か五家あり、
此附近一帶の鐘で中尾家の鑄造でないものは殆んどありません。古
いのでは長享二年といふがありますから其歴史の長い事が分りませ
う。
八幡宮【ゴチック見出し】この牛久保町に鎭座される八幡宮の祭禮は俗に、うな
ごうじ祭といはれまして、長蛇のやうな神幸の行列が、長時間ゆる
り〳〵練り歩く處や、その行列の殿りを承るやんよう神が泥の中を
も構はず寢たり起きたりする樣は實に奇觀です。これは笹踊のはや
し方で、その轉ぶ樣がうなごうじ(うじ虫)に似てゐるから付けら