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れた名です。
これから殆んど町續きで豊川町に達します。豊川の代表物は何と
いつても妙嚴寺で、俗に豊川稻荷といはれ、豊川閣の名もありま
す。
妙嚴寺【ゴチック見出し】の創立は嘉吉元年、宗派は曹洞宗、維新前寺領四十五
石を持つてゐました。有名なのはその境内に祀る吒枳尼天で、維新
前は專ら稻荷さんと通稱され境内の山林には實際狐などが住んでゐ
たものでした。
この吒枳尼天が繁昌するやうになつたのは寶暦から後の事で、三
河名所圖繪に、寶暦の頃までは牛久保西島の稻荷へ參詣するものが
多かつたが、そこから豊川の平八狐の許へ婿をくれた處、其後は豊
川の方が繁昌し。【ママ・「、」の誤植か】西島へ參詣するものが少くなつたといふ話を載せ
て居ります。昔は武將の信仰を得たもので、信長も秀吉も或は家康
もその臣下の本多忠勝も信仰してゐた事は事實です。殊に九鬼義【ママ・嘉か】隆
の如き文祿の役に秀吉の命を受けて軍船を造り、其内一等立派なの
を伊堯丸と名づけましたが、船中にこの吒枳尼天を勸請したといひ
ますし、又江戸町奉行であつた大岡越前守は、其邸内に祠を設けて
祀りましたが、それが東京赤坂の豊川稻荷だといふ事です。
賑かな門前町から一歩山内へ入ると重層の山門があり、扉に使つ
てある欅の一枚板が見ものです。正面にあるのが本堂で、重層の入
母屋造り、大屋根には疎棰木が使つてあります。こヽに安置された
地藏尊は鎌倉初期のもので今國寶に指定され運慶の作といはれてゐ
ます。
此本堂の左を通つて吒枳尼天堂へ行きます。此堂は卅年の歳月と