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翻刻
一七八
と思ひます。昔の武士はしば〳〵かういふ虫のよい事をしましたの
で、社寺では云ひ合せたやうに地中に埋め隠しました。東三河の古
鐘は殆んど悉くといつてよい程後世地中から堀り出したものです。
この永住寺の墓地には太田白雪の墓があります。
大田白雪 は、この町の人で、俳人としては可成有名でした。芭
蕉の門人で、三河小町などといふ俳書を編みました。又中々の学者
でして、殊に郷土の歴史を研究しまして、古文書記録から金石文の
探索、遺跡伝説の研究に没頭すること三十余年、十数種の著書があ
り、三河二葉松も数人の共著となつてゐますが実は白雪の業蹟だと
いひます。寛文から享保へかけての人で、東三河三十三観音巡礼は
この白雪等の主唱によつて行はれるやうになりました。それに就て
三河観音道場来歴なる一書もあり、崇敬すべき我々の先輩です。
大脇寺仏像 はこゝから豊川を距てた南の八名郡八名村庭野にあ
ります。木像の薬師如来は昭和七年国宝に指定されました。藤原中
期の作で四尺二寸程の座像ですが、容姿の整備した処や、手法の剛
健な点が見るべきものでありませう。
蜂巣岩 はその庭野にあつて新城町の遊園地である桜淵に対し
てゐます。これは大体石灰岩で出来た凡そ百間にも亘る岩壁に無数
の小穴があつて恰かも蜂巣に似たので付けられた名ですが、奇観で
もあり地質学からも珍らしいといはれてゐます。尚此岩には数十間
に亘る石灰洞があり、其内部に甌穴がある事など珍らしいものとい
はれてゐます。
新城駅の次は東新町駅で、此左手山麓に延喜式の
石坐神社 があります。式には宝飯郡とありますが、其頃宝飯郡
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