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翻刻
牧野文庫【ゴチック見出し】はその信玄にありまして、これは其地の醫師牧野文齋
氏が経営され、郷土に關する珍書稀籍を主とし、廣く内外の書籍に
及んでゐます。個人経営として西尾町の岩瀬文庫と共に相當有名な
もので、羽田文庫の本も一部はこヽに來て居るといふ事です。
川路驛の次は長篠驛ですが、實は大海といふ處にあるのでして、
長篠は其川東です。これから鳳來寺鐵道となつて次の鳥居驛には
すぐ近くに新勝寺があり、寺内に鳥居強右衛門の墓があります。
その東に北から流れて來る寒狭川と東から流れる三輪川との合流
点、そこが長篠城址で、豊川の名はこの合流点から下流をいひま
す。
長篠城【ゴチック見出し】の歴史は余りにも有名ですから省略しますが、この戦
史を研究された方に古くは新城町の皆川登一郎氏、近頃では對岸乗
本の柿原明十氏があります。この柿原氏は學界に知られた地質學者
でありますが、其余暇に資料を聚め色々研究されて己【ママ・已の誤植か】に發表された
ものもあり、この方でも権威者です。さて長篠城址は東西が三町南
北が二町余で、凡そ九町三段歩あり、本丸の跡は畑となつて土壘が
殘つてゐます。高さは十八九尺、延長二百五十八尺、その一部に大
正五年愛知縣が建てた長篠城址の碑があります。
土壘の外側の濠は巾三十三尺から五十四尺、深さは二十九尺あり
この西北に弾正廓、東北に帯廓、東南に野牛廓が取巻いて城を構成
してゐたのでした。今一帯が史蹟に指定されてゐますが、この城の
東北にある大通寺には杯井といふがありまして、これは甲軍のもの
が最後の戦にその無暴を諫め退軍を勸めて容れられず、愈々明日は
討死と覺悟しましてこの水を汲み最後の別れをしたといふのです。