← 前のページ
ページ 1 / 3
次のページ →
翻刻
諸国へ無事を知さんが為もより分くはしくしるす
御江戸 禁売《題:大地震出火巨細記》関八州 坐石堂壽鐫
【上段枠上】
御府内地震出火共焼崩土蔵数は
御大小名様方土蔵分は
六十七万五千三百六十九戸前也
御小屋敷方は
二十九万八千六百三十八也
御武家方は
十七万二千九百四十七也
寺院蔵崩焼分は
三千六百五十六也
町方土蔵は
四十二万九千〇七十五也
惣〆高 八百万九千七百八十五也
但し蔵数あまた有之
候へ共不崩古蔵之分
此中に入らず
《題:御用》 町会所
【上段枠下】
御救小屋五ヶ所
幸橋御門外火除地
浅草雷門外広小路
深川海辺新田
同永代寺八幡境内
上野御山下原
東叡山宮様より
御山下江立
右共
二ヶ所
【下段枠】
第五《割書:〇日本橋より南 品川宿まで|〇芝西みゝほ飯倉三田辺迄》
日本橋南壱丁目より四丁目まで左右中通り共
所〻にて古蔵崩る所多し人家はさのみにあらず
白木屋黒江屋などいたまず 西川岸呉服丁
がし新場通り共にいたみ少し 南伝馬丁より
東西共崩つよく かち橋外南柑屋丁五郎
兵衞丁南かぢ丁南大工丁やける 疊丁は火の中にて
少しのこる大根がしまばやける東は具足町柳丁
炭丁因幡丁鈴木丁常磐丁松川町片側にて
やけとまる通りは弐丁め三丁め京橋きはにて焼止る
▲京橋向は銀座三十間堀弓丁弥左エ門丁辺
木挽丁辺汐留浜御殿つきぢ一円芝口より
源助丁限 東は仙臺様西は久保丁限り
此内誠におだやかにて崩る所まれ也
尤土蔵いたみ候所は諸〻に相見へ申候
此うち数寄屋がし辺少しいたむ八官丁土橋
辺いたみ少し▲露月丁よりうら通り共いたみ
つよく柴井町壱丁やける夫三島丁神明丁
大いにつばれ芝神明社恙なし 増上寺御山内
御別条なくあたご下通り西之久保は少し崩る
飯倉四ツ辻辺いたみつよく赤初根すこしいたむ三田
本芝田丁は無事也高輪辺品川迄格別のことなし
臺丁は聖坂辺まで少し崩所有但土蔵いたむ所多し