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翻刻
家より失火あり八時過津浪ありて
房総人馬多く死す由川一はい差引
四度あり此時より数度地震あり相州
小田原は分ておひたゝしく死亡の者
二千三百人小田原より品川迄壱万五千人
房州十万人江戸三万七千余人《割書:内廿九日火災の|時両国橋にて》
《割書:死るもの千七百三十九人と|いへり》なりし由ものにしるせり
此時深川卅三間堂覆る廿四日夜より
雨ふり明方に及てゆり止む其後十二日迄
ふるふ事しは〳〵也
国つ神千代の岩をもゆりすゑて
うこかぬ御代のためし○にそ引
中院通茂卿【注】
十一月廿九日夜大風本郷追分より出火して谷中迄
焼又小石川より出火して北風に成上のゆしま
天神聖堂筋違橋向柳原浅草茅町南は
神田より伝馬町小泉町堀留小網町本所へ飛
回向院の辺深川永代橋迄両国橋西の方半分
【中院通茂は江戸時代の公卿・歌人、一七一〇年享年八〇歳(ウィキペディア)】