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翻刻
嘉永七寅年六月大地震并出火之次第
聞書本しらへ判書
山城・勢州大和三河近江越前
南都廿三日迄に八十五度のゆり
六月十四日夜八時よりゆり始明六時迄
少しふるい十五日朝五時ゟ大地震にて町家
一軒も無事なるは無し家内へ居る事
不成皆々野宿明地抔にて夜を明し
往来人壱人もなく目も当てられ
ぬ次第也
廿一日夜五時ゟ《地名:田利油坂町》西方寺
本堂くだけ高畑神主高塀不残
其外家数崩たる数しらす死人有之
死人三百五十人程
怪我人横死数しらず
勢州四日市
六月十四日夜四時ゆり始六つ時ゟ大地震
□【「と成」カ】家数五百軒余崩昼五時ゟ出火
にて家数四百軒余焼失
死人凡弐百四捨五人
知れざる人五百五六十人
伊賀上野
同十四日夜七時ゟ大地震荒きつく御城
大手御門大損し町在家々たおれ其外
出火にて焼失嶋ケ原と申所五十丁四方
螺のために泥海の如く相成人家損
たる家数しらす中々あわれなる事目
もあてられぬ次第也