翻刻
【右丁】
ありしとなり《割書:聖冏庵(しやうけいあん)は|氷川(ひかは)明神(みやうじん)の御供所(ごくうしよ)となれり》
猫狸橋(ねこまたはし) 同所 西(にし)の方(かた)小石川(こいしかは)の流(なが)れに架(わた)せり南向亭(なんかうてい)茶話(さわに)云(いは)く
昔(むかし)大木(たいぼく)の根木(ねき)の股(また)を以(もつ)て橋(はし)にかへて架(わた)したる故(ゆゑ)に此名(このな)ありとぞ
《割書:按(あんする)に東国(とうこく)の里俗(りぞん)木(き)の根(ね)を根(ね)ツ木(こ)と唱(とな)ふ此(この)説(せつ)可(か)ならん又 神田(かんだ)松下町(まつしたちやう)の小路(こふじ)を|俗(ぞく)にねこや新道(しんみち)と唱(とな)ふるも材木屋(ざいもくや)多(おほ)く住(す)んで根本を売(うる)家(いへ)多(おほ)きが故(ゆゑ)にしかいへり》
十羅刹(しふらせつ)女堂(によだう) 巣鴨(すがも)本村(ほんむら)藤橋(ふぢはし)の川(かは)より南(みなみ)の方(かた)にあり別当(べつたう)は真言(しんこん)
宗(しう)にして福蔵院(ふくさうゐん)と号(がう)す里老(りらう)云(いふ)昔(むかし)此地(このち)に鬼子母神(きしもしん)の像(ざう)も安置(あんち)
してありしが賊(ぞく)の為(ため)に奪(うば)はれて今(いま)は雑司(ざうし)ケ(が)谷(や)にありと其説(そのせつ)是非(ぜひ)
知(し)るべからずといへども云伝(いひつた)ふるに任(まか)せて是(これ)を載(の)するのみ神事(じんじ)は九月
十八日に修行(しゆぎやう)せり
板橋駅(いたはしのえき) 中仙道(なかせんだう)の首(しゆ)にして日本橋(にほんばし)より二里(にり)あり往来(わうらい)の行客(かうかく)
常(つね)に絡(らく)𪫙(えき)たり東海道(とうかいだう)は川々(かは〳〵)の差支(さしつかへ)多(おほ)しとて近世(きんせい)は諸侯(しよこう)を初(はじ)め
往来(わうらい)繁(しげ)ければ伝舎(はたごや)酒舗(さかや)軒端(のきば)を連(つら)ね繁昌(はんじやう)の地(ち)たり駅舎(えきしや)の
中程(なかほど)を流(なが)るゝ石神川(しやくじかは)に架(か)する小橋(こはし)あり板橋(いたはし)の名(な)こゝに発(おこ)る
【左丁】
とぞ《割書:板橋(いたはし)は上下に分(わか)てり此地(このち)を下板橋(しもいたはし)と称(しよう)す上板橋(かみいたはし)は練馬(ねりま)|通道(とほりみち)にして此地(このち)よりは西南(にしみなみ)の方(かた)の通路(とほりみち)をいふ》
《割書:按(あんする)に此地(このち)を板橋(いたはし)と唱(とな)ふる事 義経記(ぎけいき)にみえたり小田原(をたはら)北条家(ほうでうけ)の所領(しよりやう)役帳(やくちやう)に|板橋(いたはし)又太郎(またたらう)板橋(いたはし)にて毛呂分(もろぶん)の地(ち)を領し大田(おほた)新六郎(しんろくらう)も板橋(いたはし)大炊助(おほいのすけ)屋敷分(やしきぶん)の》
《割書:地(ち)を領(りやう)し恒岡(つねおか)弾正忠(だんじやうちゆう)も板橋(いたはし)高本|方の地(ち)を領(りやう)する事を挙(あげ)たり》
板橋原(いたはしのはら) 都(すべ)て上下 板橋(いたはし)と称(しよう)する地(ち)を指(さし)て云(いふ)このちなるべし此地(このち)もとより
広々(くわう〳〵)たる平原(へいげん)なり中古(ちゆうこ)治乱記(ちらんき)に貞治(ていち)六年丁未四月二十六日
鎌倉(かまくら)管領(くわんれい)足利(あしかゞ)左馬頭(さまのかみ)基氏(もとうぢ)逝去(せいきよ)す其(その)弊(つひえ)に乗(じよう)し芳賀(はか)入道(にふだう)
禅可(ぜんか)子息(しそく)伊賀守(いがのかみ)高貞(たかさだ)同(おなじく)嫡子(ちやくし)八郎(はちらう)高政(たかまさ)等(とう)鎌倉(かまくら)に押寄(おしよせ)ん
とし応安(おうあん)元年戊申正月五百 余騎(よき)を引卒(いんそつ)し越後国(ゑちごのくに)を進(しん)
発(はつ)ありて同六日 武州(ぶしう)板橋原(いたはしのはら)に打出(うちいづ)る此由(このよし)鎌倉(かまくら)へ聞(きこ)えければ
執事(しつじ)上杉(うへすぎ)憲顕(のりあき)其身(そのみ)は鎌倉(かまくら)を守護(しゆご)し子息(しそく)兵庫頭(ひやうごのかみ)憲将(のりまさ)
同(おなじく)兵部(ひやうぶの)少輔(せういう)義憲(よしのり)等(ら)を大将(たいしやう)として千葉介(ちばのすけ)直胤(なほたね)小山(をやま)朝明(ともあきら)
以下(いげ)其勢(そのせい)二千(にせん)余騎(よき)是(これ)も其日(そのひ)武州(ぶしう)洲賀茂(すがも)といふ所(ところ)に陣(ぢん)とりし
千葉(ちば)小山(をやま)が手勢(てせい)五百(ごひやく)余騎(よき)を引分(ひきわけ)て王子(わうじ)の森(もり)に置(おく)とあり