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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 48

ページ: 48

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【右丁】  するものあり古色(こしき)にして文字(もんじ)見えかたし 飽間(あかま)齊藤氏(さいとううじ)戦死(せんしの)墓碑(ほひ) 野口村(のくちむら)の中(うち)西宿(にししゆく)徳蔵寺(とくさうじ)と号(がう)する禅院(せんゐん)の  後園(こうえむ)《割書:済家(さいけ)の禅宗(せんしう)にして江戸(えど)赤坂(あかさか)の種徳寺(しゆとくじ)に属(ぞく)せり相伝(あひつた)へて永禄(えいろく)|三年の創立(さうりふ)なりといへども旧記(きうき)亡(ほろ)びて詳(つまびらか)なる事を得(え)ず》竹藪(たけやぶ)の  中(うち)に建(たて)たり《割書:六七年 前迄(まへまで)は当寺(たうじ)より三丁ばかりを隔(へだ)てゝ狭山(さやま)の続(つゞき)なる山(やま)の中(ちゆう)|腹(ふく)にあり又 傍(かたはら)に永春庵(えいしゆんあん)といへる草庵(さうあん)ふりて方充(はうじう)和尚(おしやう)といへる》  《割書:沙門(しやもん)中興(ちゆうこう)せり今(いま)は徳蔵寺(とくさうじ)の寺境(じきやう)に|迁(うつ)してわづかに草庵(さうあん)の名(な)にのみのこれり》  高さ五尺計  碑面三尺五寸余  幅一尺五寸計  【墓碑図あり、以下「」に文面を示す】  「     《割書:飽間齊藤三郎藤原盛貞生年《割書:廿|六》勧進玖□陀仏|於武州府中五月十五日討死》   光明真言 元弘三年《割書:癸|酉》五月十五日《割書:敬|白》       《割書:同孫七家行廿三死飽間孫三郎|窓長卅五於相州村岡十八日討死 執筆扁阿弥陀仏》 」  飽間氏(あくまうぢ)の墓碑(ぼひ)は実(じつ)に五百年(ごひやくねん)の蘚苔(せんたい)を帯(おぶ)るといへども三 士(し)の雄名(ゆうみやう)は  今(いま)も埋(うづも)れずして千載(せんざい)に不朽(ふきう)なり執筆(しゆひつ)扁阿弥陀仏(へんあみだぶつ)が書(しよ)は暗(あん)に元人(げんひと)の  骨法(こつはう)あるを以(もつ)て普(あまね)く風流(ふうりう)好古(かうこ)の徒(ともがら)此地(このところ)に至(いた)り称揚(しようやう)するもの 【左丁】  少(すくな)からず   《割書:按(あんする)に元弘(げんこう)三年は 光厳帝(くわうげんてい)の正慶(しやうけい)二年癸酉なり此年(このとし)後醍醐(ごだいご)天皇(てんわう)隠岐国(おきのくに)を出(いで)て|帰洛(きらく)したまひ重祚(ちやうそ)の後(のち)は正慶(しやうけい)の年号(ねんがう)を用(もち)ひられずして元弘(げんこう)三年とす此年(このとし)新田(につた)》   《割書:義貞(よしさだ)朝臣(あそん)相模(さがみ)入道(にふだう)を亡(ほろぼ)さんとし同年五月十五日 武州(ぶしう)府中(ふちゆう)の分倍(ぶんはい)河原(かはら)へ押寄(おしよせ)入道(にふだう)の|舎弟(しやてい)四郎(しらう)左近(さこんの)太夫(たいふ)入道(にふだう)慧性(ゑしやう)と合戦(かつせん)す義貞(よしさだ)打負(うちまけ)て終(つひ)に堀兼(ほりかね)をさして引退(ひきしりぞ)く由(よし)太(たい)》   《割書:平記(へいき)にみえたり太平記(たいへいき)には此人(このひと)の名(な)を注(ちゆう)せざれども|此日(このひ)に当(あた)りて討死(うちしに)せし事 此碑(このひ)によつて明(あきらか)也》 将軍塚(しやうぐんつか) 徳蔵寺(とくさうじ)より四五町を隔(へだ)てゝ北(きた)の方(かた)狭山(さやま)の続(つゝき)東(ひがし)の嶺(みね)の終(をは)る所(ところ)に  あり塚上(ちやうしやう)に老松(らうしよう)一株(いつちゆう)雑樹(ざふしゆ)に交(まじは)りて繁茂(はんも)せり《割書:すべて此地(このち)は粂村(くめむら)及(およ)び粂川(くめかは)|村(むら)等(とう)に接(せつ)す将軍塚(しやうぐんつか)の地(ち)は野(の)》  《割書:口村(くちむら)に属(ぞく)|せり》元弘(げんこう)三年癸酉五月 新田(につた)左中将(さちゆうじやう)義貞(よしさだ)朝臣(あそん)上州(じやうしう)の笠掛野(かさかけの)を  出(いで)て此地(このち)に屯(たむろ)し百歩(ひやくほ)を隔(へだ)て東西(とうさい)に塚(つか)を築(きつ)き旗(はた)を建(たて)て其(その)備(そな)へを  なし越後(えちご)信濃(しなの)の勢(せい)を集(あつ)め竟(つひ)に朝敵(てうてき)を平(たひら)げたまひし旧跡(きうせき)なり  土人(としん)其(その)武功(ぶこう)を慕(した)ひ将軍塚(しやうぐんつか)と唱(とな)ふ《割書:西(にし)の塚上(ちやうしやう)に義貞(よしさだ)朝臣(あそん)の霊(れい)を祀(まつ)りたる|山王(さんわう)の叢祠(さうし)ありしが今(いま)は亡(ほろ)びてなしと云》 狭山(さやま)の池(いけ) 箱根(はこね)が崎(さき)駅舎(えきしや)の西北(にしきた)の背(せ)に存(そん)する所(ところ)の池水(ちすゐ)を狭山(さやま)の池(いけ)と称(しよう)  するものは狭山(さやま)の麓(ふもと)にありて一 所(ところ)をさすにあらず今(いま)みる所も三所ば