東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 50

ページ: 50

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【右丁】  かりありて土人(とじん)何(いづ)れをも狭山(さやま)が池(いけ)と称(しよう)せり次(つぎ)に挙(あぐ)る所の北国(ほつこく)  記行(きかう)に山(やま)の裾(すそ)といふにてしるべし清少納言(せいせうなごん)曰(いふ)池(いけ)は狭山(さやま)の池(いけ)みく  りといふ歌(うた)のをかしくおぼゆねにやあらんなどありてみくり(三陵)あやめ(菖蒲)  ぬなは(蒪菜)を名物(めいぶつ)とす  《割書:哥枕|》 あやめ草狭山の池の長き根を是もみくりのならひにそ引  兼昌  《割書:同 |》 みくりくる狭山か池のたよりにしかけはひかれぬ青柳の糸 隆祐  《割書:同 |》 春深み狭山か池のねぬなはのくるしけもなく鳴蛙かな   仲実  《割書:松葉集|》武蔵なる狭山か池のみくりこそひけやたえすれ我や絶する     ふみわけし狭山は雪に埋れて池のみくりはくる人もなし  秀能  《割書:新撰六帖|》狭山なる池のみくりのねもみねとうちはへ人のくるそ待るゝ  《割書:北国記行|》《割書:むさし野(の)を分(わけ)はへるに野経(のへ)のほとり名(な)に聞(きこ)えし狭山(さやま)あり|朝(あした)の霜(しも)をふみわけて行(ゆく)にわつかなる山(やま)の裾(すそ)にかたちはかりなる池(いけ)あり》     氷ゐし汀の枯野ふみわけて行はさやまの池の秋風   堯恵 狭山(さやま) 粂村(くめむら)より発(おこ)りて西(にし)の方 箱根崎(はこねかさき)迄(まで)凡(およそ)三里(さんり)に余(あま)れる連岡(れんかう)を云(いふ)《割書:将軍(しやうぐん)|塚(つか)は》 【左丁】  《割書:同(おな)し東(ひがし)の|嶺(みね)にあり》土人(とじん)一名を尾引山(をひきやま)と称(しよう)せり嶺(みね)の経路(ほそみち)は多麻(たま)入間(いるま)の郡境(こほりさかひ)に  して南(みなみ)よりも北(きた)よりも麓(ふもと)より登(のぼ)る所(ところ)二百歩(にひやくほ)あまりあり或人(あるひと)云 武蔵国(むさしのくに)  風土記(ふとき)残篇(ざんへん)に多磨郡(たまこほり)北(きた)は向(むかひ)の岡(をか)を限(かぎ)るとあるによる時(とき)は此(この)長岡(ながきをか)を  以て向(むかひ)の岡(をか)として可(か)ならんといへり《割書:土人(とじん)尾引山(をひきやま)の北(きた)にあたりて綿々(めん〳〵)たる群山(ぐんさん)|あるを以(もつて)狭山(さやま)と号(がう)すと依(よつ)て按(あんする)に此地(このち)の》  《割書:群山(ぐんさん)はいづれも狹(せま)くして竪(たて)に長(なが)きもの数条(すてう)あり此故(このゆゑ)に山(やま)と〳〵にはさまれる故(ゆゑ)に狭山(さやま)とは|号(なつけ)たりしなるべししかる時(とき)は土人(とじん)の云(い)へる如(ごと)く此地(このち)なべて山々(やま〳〵)を合(あは)せなつけて狭山(さやま)と》  《割書:称(しよう)して一所に限(かぎ)る名(な)にはあらず|》  《割書:千載  |》五月闇狭山か峯にともす火は雲の絶間の星かとそみる  顕季  《割書:続古今 |》秋風になひく狭山の葛かつらくるしや心うらみかねつゝ 後鳥羽院  《割書:新後拾遺|》ともすれは靡く狭山の葛かつら恨よとのみ秋風そふく  《割書:前中納言|匡房》  《割書:新続古今|》ともしする狭山の峯の狩衣秋にもまさるそての露けさ  家隆  《割書:夫木  |》淋しさに野へに立とて詠けは狭山か裾にすゝむしの鳴  匡房 八国山(はちこくやま) 粂村(くめむら)に属(ぞく)す将軍塚(しやうぐんつか)の西(にし)十八丁ばかり同(おな)し狭山(さやま)の続(つゞき)にあり  て少(すこ)しく秀出(つきだ)したる所(ところ)を号(なづ)くさながら雲(くも)を凌(しの)ぎ碧空(へきくう)に連(つらな)るにもあら