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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 63

ページ: 63

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【右丁】  上州(ぢやうしう)より義兵(ぎへい)を起(おこ)し武蔵野(むさしの)に旗挙(はたあげ)し給ふ鎌倉勢(かまくらせい)と府中(ふちゆう)  分倍(ふくばい)河原(かはら)に戦(たゝか)ひ軍(いくさ)敗(やぶ)れて粂川(くめかは)に引退(ひきしりぞ)き当山(たうさん)の東(ひがし)の峯(みね)に  陣営(ぢんえい)を構(かま)ふ此時(このとき)義貞公(よしさたこう)観世音(くわんせおん)へ願書(ぐわんしよ)を捧(さゝげ)朝敵(てうてき)退治(たいぢ)の  軍功(ぐんこう)を祈(いの)らせ給ふ其夜(そのよ)義貞公(よしさだこう)の夢(ゆめ)に千手(せんしゆ)大悲(だいひ)馬上(ばしやう)に現(げん)し  親(みづから)御手(みて)の弓箭(ゆみや)を与(あた)へ給ふと見る夢(ゆめ)覚(さめ)て後(のち)感悦(かんえつ)浅(あさ)からず庭(てい)  前(ぜん)の桜(さくら)の枝(えだ)を䇿(むち)となし盟(ちかつ)て関戸(せきと)の陣(ぢん)に発向(はつかう)し給ふ然(しかる)に越後(えちご)  信濃(しなの)の方より数万(すまん)の軍勢(ぐんせい)差加(さしくはゝ)り不日(ふじつ)に相州(さうしう)一家(いつけ)を亡(ほろば)す《割書:旗(はた)を|立(たて)し》  《割書:地(ところ)を今(いま)将軍塚(しやうぐんつか)と号(がうす)義貞(よしさだ)誓(ちかひ)の|桜(さくら)と云(いふ)もの今猶(いまなほ)栄(さか)ふといふ》遥(はるか)の後(のち)天正(てんしやう)年間(ねんかん)忝(かたじけなく)も 御当家(ごたうけ)に於(おい)て  崇敬(そうかう)なし給ふのあまり寺封(じほう)の朱璽(しゆじ)を下(くだ)し給はりしより繁昌(はんじやう)  古(いにしへ)に百 倍(ばい)し人天(にんてん)護持(ごぢ)の霊場(れいぢやう)となれり 辰爾山(しんにさん)仏蔵院(ぶつさうゐん)勝楽寺(しようらくじ) 山口(やまくち)観音堂(くわんおんだう)より十二丁ばかり西(にし)の方 勝楽(しようらく)  寺村(じむら)にあり新義(しんぎ)の真言宗(しんごんしう)にして中戸の真福寺(しんふくじ)に属(ぞく)せり中興(ちゆうこう)  開山(かいさん)は真恵(しんゑ)上人と号(がうす)《割書:元和(げんわ)九年正月|十四日 化寂(けじやく)す》本尊(ほんそん)は近頃(ちかころ)火災(くわさい)に亡(ほろ)びて新(あらた)に 【左丁】  座像(ざざう)二尺ばかりの十一面(しふいちめん)観音(くわんおん)を安置(あんち)す此(この)火災(くわさい)に仍(よつ)て悉(こと〴〵)く旧記(きうき)  を亡(ほろぼ)したりとて草創(さう〳〵)の時世(じせい)等(とう)詳(つまびらか)ならず《割書:尊海(そんかい)上人を以(もつて)|中興(ちゆうこう)開山(かいさん)とす》  洪鐘(こうしやう)《割書:当寺(たうじ)大坊(たいはう)の前(まへ)左(ひだり)の方(かた)にあり銘文(めいぶん)高麗郡(こまこほり)とあり元禄(げんろく)年間(ねんかん)災(わざはひ)に罹(かゝ)|りて損(そん)したりとて銘文(めいぶん)の後(うしろ)に再興(さいこう)の旨趣(ししゆ)を注(ちゆう)し添(そへ)て改鋳(あらためい)たりと》  《割書:いへり其(その)銘(めい)に云(いは)く|》  武州高麗軍山口郷勝楽寺村奉新造立鐘銘曰   諸方空相 寂滅異名 常楽我浄 箇々円成  奉日待講供養  奉庚申講供養  奉念仏講供養  奉誘奉加供養            願主 藤原重信  奉修山王七社大権現御宝前依  辰尓山別当仏蔵院勝楽寺大坊         住寺中興開闢法印権大僧都               尊海上人               莫栄上人  延久三年辛亥九月十九日開闢            本願 莫宥順説            初響 二見相覚妙性  明暦三年丁酉九月吉辰日敬白            御大工椎名兵庫頭吉縄