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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 64

ページ: 64

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【右丁】  《割書:此(この)寺境(じきやう)の地(ち)は入間郡(いるまこほり)に属(ぞく)したり再(ふたゝ)び按(あんずる)に高麗郡(こまこほり)にも勝楽寺(しようらくじ)と号(がう)する寺(てら)ありて後(のち)高麗山(かうらいさん)|聖天院(しようてんゐん)と改(あらた)むもし此寺(このてら)の鐘(かね)なる欤(か)猶(なほ)考(かんが)ふべし》   七社(しちしや)権現宮(ごんげんのみや) 《割書:勝楽寺(しようらくじ)より百歩(ひやくほ)ばかり東(ひがし)の方 山(やま)の上(うへ)にあり山王(さんわう)二十一 社(しや)の中(うち)七社の神(かみ)を|まつるといへり社領(しやりやう)あり此寺(このてら)の東(ひがし)に鳥居場(とりゐば)と字(あざな)する地(ち)あるものは》  《割書:古(いにしへ)当社(たうしや)の一の鳥居(とりゐ)ありし旧跡(きうせき)なりといひ伝(つた)ふ毎歳(まいさい)九月十九日に祭礼(さいれい)修行(しゆぎやう)|あり》  開山塔(かいさんたふ) 《割書:七社(しちしや)権現(ごんげん)の後(うしろ)を開山塔(かいさんたふ)と称(しよう)すれども唯(たゞ)其(その)唱(となへ)のみにして塔(たふ)の形(かたち)を存(そん)するに|あらず開山(かいさん)の号(がう)も旧記(きうき)亡(ほろ)びてしれがたしもしくは中興(ちゆうこう)尊海(そんかい)上人の廟塔(びやうたふ)ありし地(ち)ならん欤(か)》  当寺(たうじ)往時(そのかみ)は大伽藍(おほがらん)にして鎌倉(かまくら)将軍家(しやうぐんけ)累世(るゐせ)の祈願所(きぐわんしよ)  しとなり其頃(そのころ)は十二 員(ゐん)の坊舎(ばうしや)ありて巍々(ぎゝ)たりしか物(もの)換(かは)り星(ほし)移(うつ)  りて今(いま)はその名(な)のみ存(そん)して悉(こと〴〵)く田園(でんえむ)の字(あざな)に残(のこ)れり《割書:勝楽寺(しようらくじ)を大坊(たいばう)|と称(しよう)するも支院(しゐん)》  《割書:に対(たい)しての称(しよう)と覚(おぼ)し又 大坊(たいばう)の西南(にしみなみ)堂地入(たうちいり)といへる所(ところ)に古瓦(ふるきかはら)を穿出(がちいだ)す事あり古(いにしへ)伽藍(がらん)の|証(しやう)尤(もつとも)著(いちしる)し又 文永(ふんえい)嘉元(かげん)文正(ぶんしやう)等(とう)の古碑(こひ)数枚(すまい)を存(そん)せり》    《割書:按(あんする)に日本紀(にほんき)に敏達(ひたつ)天皇(てんわう)元年壬辰 夏(なつ)四月 高麗(こま)の使人(つかひ)来(きた)りて表疏(ひやうそ)を上る其(その)表疏(ひやうそ)|烏羽(からすは)に書(かけ)り諸(もろ〳〵)の史(ふひと)を召(めし)聚(つと)へて読(よま)しめむとす三日におよべども皆(みな)読(よむ)事あたはず》    《割書:爰(こゝ)に舩史(ふねのふひと)の租(そ)王辰爾(わうしんじ)と云ものありて羽(は)を飯気(いひけ)に蒸(むし)て帛(ねりきぬ)をもて羽(は)に印(おし)て其(その)文字(もじ)を|写(うつし)とりて詳(つまひら)かに読(よむ)と当寺(たうじ)山号(さんがう)辰爾山(しんにさん)と称(しよう)す尤(もつとも)いはれあるべし今(いま)旧記(きうき)亡(ほろ)びて其(その)古(いにしへ)をしる事》    《割書:あたはず遺歎(いたん)少(すくな)からず|》 新堀(にひほり)玄蕃(げんば)居住地(きよたくのち) 山口(やまくち)新堀(にひほり)の地(ち)に住(ぢゆう)せしと云(いふ)太田(おほた)道潅(だうくわん)の家臣(かしん)に  して江戸(えと)谷中(やなか)の新堀(につほり)にありしが故(ゆゑ)ありて少時(しばらく)此地(このち)に移住(いぢゆう)し太田(おほた) 【左丁】  家(け)に伝(つた)ふる所(ところ)の稲荷(いなり)の神像(しんざう)を以て一 社(しや)に勧請(くわんじやう)し今(いま)当寺(たうじ)の  護法神(ごはふしん)とす《割書:天女(てんによ)稲荷(いなり)と称(しよう)|するもの是(これ)なり》玄蕃(げんば)後(のち)に豊島(としま)の新堀(にひほり)に帰住(きぢゆう)せしと云(いふ)  よつて此地(このち)にも新堀(にひほり)の号(がう)ありと云 山住(やますみ)彦三郎(ひこさふらうの)旧趾(きうし) 七社(しちしや)権現(ごんげん)より艮(うしとら)の方三丁ばかりを隔(へだて)たる小(ちひさ)き岡(をか)を  云(いふ)土人(とじん)は山住(やますみ)彦三郎(ひこさふらう)某(それがし)の城壘(しろ)の趾(あと)なりといへり《割書:方(はう)三四丁の間(あひた)を云(いふ)|山住(やますみ)彦三郎(ひこさふらう)追(おつ)て可考(かんがふへし)》  此地(このち)に旧家(きうか)十四五 軒(けん)ありて其中(そのうち)二見家(ふたみけ)の古文書(こもんしよ)及(およ)び旗幕(はたまく)の  注文書(ちゆうもんかき)等(とう)を蔵(さう)するものあり《割書:鍛冶職(かぢしよく)を業(なりはひ)とする儀右衛門(ぎゑもん)といへる二見(ふたみ)将監(しようけん)|といふ人の後裔(こうえい)なりとて其家(そのいへ)に蔵(さう)す》  又 此(この)岡(をか)の根(ね)に諏訪(すは)の神祠(やしろ)ありて石剣(せきけん)を神体(しんたい)とす《割書:其(その)質(しつ)青(あほ)く銅(どう)|銕(てつ)の如(ごと)し》  其(その)古文書(こもんしよに)曰(いはく)    先日小宝筋御働之時走廻候由有証人    申旨神妙候仍太刀一腰遣之候於向後    弥可相稼者也状如件     十一月二日      空誓判