翻刻
【右丁】
《割書:鎮凶徒自把斧越致一戦之日剰中矢津於彼戦場|殞命自此逆賊威漸飲四海禍乱起于茲国民不安》
《割書:居然今貞盛繁盛兼任等苟雖以不肖之身起一挙|之義兵欲誅朝敵報父仇非神霊加護之力者争得》
《割書:勝於瞬目之中所仰神威代干戈怨退四維願満一|時丹心有誠玄鑒無誤者先令見一之瑞験給仍祈》
《割書:願如件|天慶三年正月廿五日 平貞盛敬白》
足利(あしかゝ)将軍(しやうくん)尊氏公(たかうちこう)御教書(みきやうしよ) 一通
小田原(をたはら)北条家(はうしやうけ)神領(しんりやう)寄附之(きふの)状(しやう) 一通
社記(しやきに)曰(いはく)当社(たうしや)は本朝(ほんちやう)武運(ふうん)の守護神(しゆこしん)治国(ちこく)利民(りみん)の神域(しんいき)とし
て鎮坐(ちんさ)年(とし)旧(ふり)ぬ二千余年(にせんよねん)の星霜(せいさう)和光(わくわう)これ新(あらた)なり利生(りしやう)徳(とく)普(あまね)
し東方(とうはう)八洲(はちしう)の蒼生(そうせい)こと〳〵く神威(しんゐ)を仰くこゝを以(もつ)て
世々(よゝ)の武将(ふしやう)も崇敬(さうきやう)を厳(おこそか)にして却敵(きやくてき)勝利(しやうり)国民(こくみん)安泰(あんたい)の祈誓(きせい)
を掛(かけ)たまはさるは稀(まれ)なり誠(まこと)に神徳(しんとく)の日々(ひゝ)に新(あらた)に年々(とし〳〵)に盛(さかん)
にましますこと誰(たれ)人(ひと)かこれを仰(あふ)かさらんや何(いつれ)の輩(ともから)か利物(りもつ)
の和光(わくわう)を蒙(かふむ)らさらんやされは 景行(けいかう)天皇(てんわう)の御宇(きよう)日本(やまと)武尊(たけのみこと)
【左丁】
東夷(とうゐ)征罰(せいばつ)に趣(おもむ)き給ふ頃(ころ)当社(たうしや)に御祈誓(ごきせい)ありて程(ほど)なく凶徒(けうと)を鎮(しづ)
め給ふ其後(そののち)聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)諸国(しよこく)一宮(いちのみや)を撰定(せんぢやう)なし給ふとき
武蔵国(むさしのくに)にては当社(たうしや)を以(もつ)て一宮(いちのみや)となさしめ且(かつ)奉幣使(ほうへいし)を向(むけ)らる又
醍醐(だいご)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)には神社(しんしや)に大小(だいしやう)の社格(しやかく)を定(さだめ)られ当国(たうこく)四十四 座(ざ)の中(うち)
当社(たうしや)を撰(えらむ)て大社(たいしや)二座(にざ)の中の冠(くわん)たらしむ其後(そのゝち)朱雀(しゆじやく)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)に
至(いた)りて貞盛(さだもり)繁盛(しげもり)兼任(かねたう)等(ら)の兄弟(きやうだい)将門(まさかど)退治(たいぢ)の為(ため)東国(とうこく)に発向(はつかう)す
其時(そのとき)日本(やまと)武尊(たけりみこと)の先蹤(せんしやう)に准(したが)ひ当社(たうしや)に詣(けい)して一通(いつつう)の願書(ぐわんしよ)を篭(こめ)
奉(たてまつ)る果(はた)して霊応(れいおう)を得(え)たり又 治承(ぢしやう)四年 頼朝(よりとも)寄願(きぐわん)の旨(むね)あるにより
社頭(しやとう)を修営(しゆえい)ありて大宮(おほみや)領(りやう)永(えい)三千 貫文(くわんもん)の地(ち)を寄附(きふ)せられ社中(しやちゆう)
乱妨(らんばう)狼藉(らうぜき)なかるべきが為(ため)制札(せいさつ)および御教書(みけうしよ)を賜(たま)ふ然(しか)るに
天文(てんぶん)永禄(えいろく)の頃(ころ)東国(とうこく)大(おほひ)に乱(みだ)れ争戦(さうせん)屢(しば〳〵)にして社頭(しやとう)荒蕪(くわうぶ)したり
ければ天正(てんしやう)十九年 当社(たうしや)の荒廃(くわうはい)を歎(なげ)き思(おぼ)し召(めさ)れ 御当家(ごたうけ)より
社壇(しやだん)を重修(ちゆうしゆ)なし給ひ又 慶長(けいちやう)九年 足立郡(あたちこほり)にて高鼻(たかはな)および上(かみ)