翻刻
供之人数に加る稲垣御立に江戸へ下る扨又南都
春日之神職野村次右衛門は松倉家代々宿願之
好み有を以勝家在江戸故下り居合せたり是非
此度供して島原へ下り数年之厚恩を報し申
さん殊更先年大坂御陣之時も私亡父前豊後守
殿御手に属せし吉例あり其時不残帰城まし
〳〵て尓今御家繁昌旁以供之人数吉加可給
と所望す始終之存念尤至極なれ共今度之
儀は片時も急き島原へ下着する事可為本意其
上猶 公儀御伝馬十疋乗物壱挺之御朱印
此外は曽而以成らさる義也延引可然と被申進無
念に思ひ相州戸塚迄勝家に先立て待請是非に
無構供に交て奈良をも余所に見て直に大坂へ
馳着長門守同船に而島原へ下着し一揆楯籠
城責御方にて甲斐〳〵敷働く板倉内膳正
殿寅之元旦討死之時節進出て屏下に働く
皆人是を感する故に石谷十蔵殿ゟ証文弐通板
倉主水殿ゟ一通給之而所持す
又曰十一月廿四日長門守下着其儘に千本木に籠居
る一揆を可責迚物見を遣はす処に城主の着岸