翻刻
島原征伐始末別記曰黒田甲斐守長興十一月十
五日筑前国為守護御暇被下即日江戸出立
又曰黒田東市正寛永十四年冬肥前国島原領江
耶蘇之徒党起に付筑前国為守護十一月十五
日御暇被下即日江戸発足
朝報抄曰十一月十五日今度於肥前島原紀利支
丹之宗門等雖蜂起長崎辺は無為之由也然共
為御仕置榊原飛騨守馬場三郎左衛門被差遣
之候黄金呉服等拝領之因茲京大坂江奉書被
差遣之也
松平氏覚書曰霜月十三日に榊原飛騨守馬場三
郞左衛門尉是両人は長崎まん所なれは長崎
を鎮めんために長崎へ遣さる
花房譜曰榊原飛騨守職直寛永十一年より十四
年に至る迄上使として下向し異国之商船耶
蘇禁制之事ヲ沙汰す同年十一月肥前島原に
而耶蘇一揆を起す時板倉内膳正重昌石貝十
蔵貞清征伐之御使と成て島原に発向長崎は
元来耶蘇之輩多き地也其耶蘇の組せんことを
おもんばかつて職直長崎に趣きて是を制せ