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切支丹御退治記 49巻. [3] - 翻刻

切支丹御退治記 49巻. [3] - ページ 87

ページ: 87

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 着座及晩景熊本人数三角を出船山鼻を乗廻  す 立斎旧聞記曰十二月六日忠茂卿梁川に着城有  り 別当杢左衛門覚書曰極月六日細川越中守殿牧  野伝蔵殿松平甚三郎殿肥後高瀬を御立候成  肥後之内に御泊り翌日三角と申所江御越二  三日御逗留被成候由申候事 天草軍記曰同月六日松平甚三郎林丹波牧野伝  蔵等肥後国高瀬を打立肥後守光高寺沢兵庫  頭堅高令下知候甚三郎丹波伝蔵同道有之即  時に天草表江押行候富岡之城兵等何も出合  内外肥後勢弐万余人を以て島中をさかし候  得共一揆等此頃壱人も不残原之城へ渡海し  島中郷中男女共に居不申候 西村五兵衛覚書曰榊原飛騨守様長崎就御下向  為御使花房権左衛門丑ノ十二月六日出船仕  候長崎江参承候得は飛騨守様諫早江昨日御  越被成候由申に付早速あなたへ罷越候得は  早々有馬江御越被成候故直に有馬罷越申候