翻刻
正写相生源氏上之巻
東都 女好菴主人著
第一 北嵯峨(きたさが)のまき
こゝに何(いづ)れの御 時(とき)にや。花洛北嵯峨(みやこきたさが)の片(かた)ほとり。表(おもて)に冠木(かぶき)の門(もん)を構(かま)え。庭(には)に
築山(つきやま)遣水(やりみづ)なんど。いと床(ゆか)しくもすみ做(な)したる。その家(や)の主人(あるし)は年(とし)の頃(ころ)。四十(よそぢ)ばかりの
寡婦(やもめ)にて。只(たゝ)一個(ひとり)の女児(むすめ)をもてり。いかなる筋目(すじめ)の人なりや。絶(たえ)て男(おとこ)といふものなけ
れど。四時(ゑいし)の衣裳(いしやう)朝夕(あさゆふ)の暮(くら)しにさへも縡(こと)かゝす。婢女(はしため)二三人と六十(むそぢ)ばかりの。老爺(おやち)一人(ひとり)
をめしつかひて。豊(ゆたか)ならねど貧(まづ)しくは。あらぬさまに世(よ)を送(おく)る。ころは如月(きさらぎ)の中旬(なかつかた)。野末(のずゑ)
に春(はる)をしらせつる梅(うめ)の白(しろ)きははや萎(すが)れて。紅(くれなゐ)のみぞ盛(さかり)なる庭(には)に飛(とび)かふ小雀(こすゞめ)も
世間(せけん)しらずか母鳥(はゝとり)を。したふて翎(はがい)ふくらしつ。倶(とも)に餌(ゑ)ひろふしほらしさ。女児(むすめ)音勢(おとせ)は椽(えん)
端(はな)に。みて居(ゐ)たりしが後(うしろ)をむき《割書:おとせ|》〽アレ慈母(おつかあ)さん。御覧(ごらん)なさい。あれは大方(おほかた)昨日(きのふ)か一昨日(おとゝひ)
巣立(すだち)をいたしたのでございませうね。誠(まこと)にかあいらしいしやうございませんかトいふに母親(はゝおや)