翻刻
酌(しやく)をしてとらさうトその有(あり)がたさになみ〳〵と。一(ひと)ツ受(うけ)たる杯(さかづき)を。やう〳〵干(ほ)すとまた一ツ。
強(しゐ)つけられて飲(の)む酒(さけ)に。果(はて)は殽(さかな)も御手自(みてづから)。ソレ手(て)が穢(よこれ)る口(くち)を開(あい)たと思(おも)ひの外(ほか)なる如(ぢよ)
在(さい)なさ。浅香(あさか)も元来(もとより)なる口(くち)を。遠慮(ゑんりよ)も今(いま)はうち忘(わす)れ《割書:浅|》〽サア佐栗(さぐり)さん今回(こんど)は貴君(あなた)
《割書:佐|》〽亦(また)わたくしかへ情(なさけ)ない。些(ちと)御前(ごぜん)へ上(あげ)るがよい《割書:浅|》〽夫(それ)でも余(あま)り無躾(ぶしつけ)な老婆(ばゝあ)とお呵(しかり)なさ
れうかと《割書:光|》〽イヤ〳〵決(けつ)して呵(しか)りはせぬ。其方(そち)が杯(さかづき)まちかねた《割書:浅|》〽ヲヤ〳〵御前(ごぜん)が程(ほど)のよ
さ。モウ二十 年(ねん)も若(わか)い時(とき)なら。お否(いや)であらうと無理無躰(むりむたい)。仕(し)やうもあらうに佐栗(さぐり)
さん。年(とし)ほど哀(かな)しいものはない。貴君(あなた)がたも今(いま)のうち。情出(せいだ)してお遊(あそ)びさないホゝゝト
睨(ながしめ)に吉光(よしみつ)を視(み)るその愛敬(あいけう)。萎(すが)るゝ花(はな)の色(いろ)なくても。匂(にほ)ひ残(のこ)れる霜夜(しもよ)の菊(きく)。
これも一興(いつけう)ならんかと。女児(むすめ)が留守(るす)を物怪(もつけ)の僥倖(さいはひ)。今宵(こよひ)はこゝに草枕(くさまくら)。旅(たび)ならなく
に宿(やど)ありて。慰(なぐ)さまんと思(おぼ)しつゝ佐栗(さぐり)を一人(ひとり)止(とゞ)めおき。その余(よ)の供(とも)は帰(かへ)さ
れけり
相生源氏上の巻畢
上ノ十一