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御伺之上江戸表へ差上被仰付候由被仰聞候
一島にて病死仕候者共并以前に御座候弐人の骨箱に入持参仕候国地へ持帰申
度段相願候処八丈御用船に付穢敷ものつまれ不申候由被仰付則御役人差
図を以同嶋宗福寺本堂前へ右の骨を壱処に相葬印を立石塔をも六
七町計磯へ石をとりに行五六人してかき参築立俗名戒名相記し
法事も右寺へ被仰付私共一同に御寺へ御案内被仰付御馳走に預申候
一青ケ嶋へ巳六月十三日着仕候同七月八日迄日数廿五日滞留仕候但七月八日出帆
一八丈島へ七月八日着岸九月《割書:四日迄
但七月閏月也》 日数八十四日滞留仕候実ハ御舟便無御座
候に付如此障候
一無人島より青ケ島まて里数弐百里はかりも御座候様考申候方角ハ辰巳の
方へ当り候様奉存候慥に外に山も見え不申候に付相分兼候
一青ケ島より八丈島へ三十五里と申事に御座候得共廿里はかり有之様相考申候
一八丈より伊豆国次崎の湊迄百五里御座候哉是も百里はかり御座候様に
相考申候
一九月四日八丈御用船朝日丸御船頭服部源五郎水主八人乗組私共十四人
乗組都合廿三人乗同日出帆八丈島より伊豆の内離島数々《割書:三蔵嶋 三分ケ嶋
三本タキト申所御座候》
地方大島然るにならゐ風強相成遠州灘の方へ吹流れ又風直り八丈より
地方のにゐ島へ帰かゝり仕碇四本入掛留同十七日伊豆の次崎へ入津同
十八日同処出帆同十九日相模国浦賀へ入津同廿一日昼時同処出帆
廿二日江戸鉄炮洲へ入津仕候誠一同に国地へ帰難有事難申上尽候
一右朝日丸乗組の者の内宿老の前方無人島へ八丈御役人御見分に