翻刻
西山(にしやま)善峯寺(せんほうし)に居(きよ)して盛(さかん)に宗教(しうけう)を弘通(くつう)ありし故(ゆゑ)に世(よ)に西山(にしやま)上人
と称(しよう)しまゐらす《割書:浄宗(しやうしう)西山派(せいさんは)の大祖(たいそ)と称(しよう)す|一世(いつせ)の行状(きやうちやう)は上人 傳(てん)に詳(つまひらか)なり》
当寺(たうし)往古(そのかみ)は大伽藍(おほからん)にして関東(くわんとう)の高野山(かうやさん)と称(しよう)し衆人(しやうしん)先亡(せんほう)並(ならひ)に逆(きやく)
修(しゆ)等(とう)の石塔婆(せきたふは)を建(たて)参詣(さんけい)の人も多(おほ)かりしとなり故(ゆゑ)にや今(いま)も古(ふる)き
石碑(せきひ)石仏(せきふつ)の類(たく)ひ此処(ここ)彼処(かしこ)に存在(そんさい)せり《割書:寺(てら)の大門より六七丁 東(ひかし)の方(かた)に|護摩堂(ごまたう)屋敷(やしき)と号(なつ)くる地(ち)あり》
《割書:不浄(ふしやう)なる時(とき)は祟(たたり)ありとて田畠(たはた)耕作(こうさく)|する事なしとて叢(くさむら)となりてあり》
光明寺池(くわうみやうしのいけ) 光明寺(くわうみやうし)の南(みなみ)に添(そ)ふ往古(そのかみ)の矢口(やくち)の川筋(かはすち)なりしといへり今(いま)は
水流(すゐりう)替(かは)りて南(みなみ)の方へ寄(より)て流(なか)る池(いけ)の長(なか)さ東西(とうさい)弐百 余(よ)間(けん)幅(はは)は南北(なんほく)へ
五十 間(けん)はかりもありとおほし《割書:里老(りらう)傳(てんに)云(いふ)記主(きしゆ)禅師(せんし)当寺(たうし)に住職(ちゆうしよく)たりし時(とき)|此池(このいけ)の鯉魚(りきよ)を取揚(とりあけ)頭(かしら)に朱(しゆ)をもて名号(みやうかう)を書(かき)て》
《割書:元(もと)の所(ところ)へ放(はな)ち給ふ其(その)余類(よろい)ありて今(いま)に折々(をり〳〵)浮(うかみ)出(いつ)ることもありといへり正月廿五日御 忌念(きねん)|仏会(ふつゑ)執行(しつきやう)の時(とき)は彼魚(かのうを)あまた水上(すゐしやう)に浮(うかみ)出(いつ)るとなり》
新田大明神(につたたいみやうしん)社 光明寺(くわうみやうし)より五丁南の方 矢口邑(やくちむら)にあり別当(べつたう)は古義(こき)の
真言宗(しんこんしう)にして真福寺(しんふくし)と号(かう)す高畑宝幢院(たかはたけはうとうゐん)に属(そく)す祭(まつ)る所(ところ)の神(かみ)は
新田左兵衛佐(につたさへうゑのすけ)義興(よしおき)朝臣(あそん)の霊(れい)なり十日を縁日(えんにち)とす拝殿(はいてん)のみを経営(けいえい)す