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中如何与在之候得共正次左様に下知候上は任其意
西国へ先早々返簡遣候扨江戸へ注進之状を認め夜
日に鑓飛脚にて指越候又備中守被申候は江戸へ鑓
飛脚大坂ゟ百三拾三里往来十日経候御評定
一日以上十一日振り御返答承る又西国へ申遣候共
海上百六拾里成は早く而も十日は掛り候はん殊更
唯今西風烈海路無心元也難義之事無之候而も
十四五日に行着な連は二三十日之内也其間に一揆
次第に令蜂起候而は大事に存候間只事之大に成ら
ぬ間に可申通由被申候然共府内御目付衆もけ様
之時分諸大名を令下知誅伐合戦之指引仕事
兼而不承 上意候間今更了簡難仕由以上三
十日余一揆之構ひ取合者もなく次第に令蜂起
候事誠以備中守思案之通に候
六日辛未
長崎記曰十一月六日ゟ翌寅二月四日迄口々四口之
所一け所に百余人つゝ詰番致しける也尤其間は
長崎は大将丹後守預りとして家老番頭守護致
し万事取計ひ相談有之也