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翻刻
害能構にて楯籠り島原山を中として千本木
へ懸連は上木場ゟ切かゝり中木場之敵はかな
蔵へ山越にかゝる誠に長蛇之備とも可言所に而
小勢にては三け所一度に防き難く徒々尓数日を
送る然る處に一揆共相談には天草之城を責取
長崎へ押寄せ使を立一宗門弟に不成は四方与り
焼討に春へし一味同心に於ては島原之城を責取
天下を引請幾年茂我侭に致す物ならは天下
皆門弟に可成と相談春る之由右之次第島原ゟ府
内御目付両人江之注進十一月九日未之刻於江城
云上之由遂 上意長門守即時に御暇を被下同日
子之刻江戸発足須
朝報抄曰寛永十四年十一月九日松倉長門守領分於
肥前国島原紀利支丹之輩立起宗門令一味
長州居城之町屋幷在々所々放火有江有馬与
云所へ楯籠有之由豊後国御目付衆ゟ右之
旨今日注進之子固茲為 上使板倉内膳正石
谷十蔵被差遣之黄金呉服等被下之趣在所
云に又右之党等長門守留守居之者於難成退
治為同国之間鍋島信濃守寺沢兵庫頭彼