キリシタン関連史料を翻刻

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切支丹御退治記 49巻. [2] - 翻刻

切支丹御退治記 49巻. [2] - ページ 59

ページ: 59

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 害能構にて楯籠り島原山を中として千本木  へ懸連は上木場ゟ切かゝり中木場之敵はかな  蔵へ山越にかゝる誠に長蛇之備とも可言所に而  小勢にては三け所一度に防き難く徒々尓数日を  送る然る處に一揆共相談には天草之城を責取  長崎へ押寄せ使を立一宗門弟に不成は四方与り  焼討に春へし一味同心に於ては島原之城を責取  天下を引請幾年茂我侭に致す物ならは天下  皆門弟に可成と相談春る之由右之次第島原ゟ府  内御目付両人江之注進十一月九日未之刻於江城  云上之由遂 上意長門守即時に御暇を被下同日  子之刻江戸発足須 朝報抄曰寛永十四年十一月九日松倉長門守領分於  肥前国島原紀利支丹之輩立起宗門令一味  長州居城之町屋幷在々所々放火有江有馬与  云所へ楯籠有之由豊後国御目付衆ゟ右之  旨今日注進之子固茲為 上使板倉内膳正石  谷十蔵被差遣之黄金呉服等被下之趣在所  云に又右之党等長門守留守居之者於難成退  治為同国之間鍋島信濃守寺沢兵庫頭彼