翻刻
京 安宅(あたか)甚太郎 等(ら)其勢一万六千 余(よ)人元亀元年七月廿七日四
国(こく)の地を発船(はつせん)して津国(つのくに)野田(のだ)福嶋(ふくしま)に着陣(ちやくじん)し同国 東成郡(ひがしなりごほり)石山
本 願(ぐはん)寺をかたらひ要害(ようがい)の地に砦(とりで)を構(かま)へ合戦の用意(ようい)をなす依之(これによつて)
畿内(きない)の騒動(そうどう)大方ならず此 旨(むね)京都より追々(をひ〳〵)信長へ注進(ちうしん)ありけれ
さらば此 賊徒等(ぞくとら)を誅伐(ちうばつ)すべしとて美濃(みの)尾張(をはり)近江(あふみ)伊勢(いせ)の軍勢三万
五千 余騎(よき)を引率(いんそつ)し信長 自(みづから)八月廿日に 岐阜(ぎふ)を立て津国中嶋に 陣(ぢん)
を取(とり)三 好(よし)が輩(ともがら)と合戦に及(をよ)びける時に浅井 備前(びぜんの)守此事を聞(きゝ)て時こ
そ来(きた)れ信長の後(うしろ)を討(うち)て姉(あね)川の恨(うらみ)をはらさんと又 越前(えちぜん)の朝倉(あさくら)と
申合せ同九月十四日 坂(さか)本に陣(ぢん)を取(とり)叡山(えいざん)をかたらふに此山の衆徒(しゆと)
等(ら)元来(ぐわんらい)朝倉家(あさくらけ)は檀越(だんをつ)にして其 因(ちなみ)深(ふか)きその上信長に恨(うらみ)を含(ふく)む
事 既(すで)に年久(としひさ)しければ大に悦(よろこ)び両家の軍勢をさま〴〵もてなし