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輝政は功を以て播州姫路五十二万石に封ぜられ、吉田城を去り其後を継いだのは松平玄蕃
頭家清であつた。封禄三万石其の後慶長十七年に松平主殿介利忠、寛永九年に水野隼人正
忠清、仝十九年に水野監物忠善と数々城主の更迭があつたが禄高は矢張り多い処で四万五
千石位のものであつた。正保二年小笠原壱岐守忠知城主となつたが、夫れから長矩、長祐、
長重と四代の間継続した、小笠原氏に次いて元禄十年久世出雲守重之が来たが、之れも在
城十年にして寛永二年牧野備前守成春と交代した。成春の次は其子大学成央で牧野氏に代
つて此の地の城主となつたのは大河内氏である、大河内氏は正徳二年信親の時代に初めて
古河から移封されて来たのであるが、亨【享の誤植】保十四年一度浜松に転封になり、之れに代つたの
が松平豊後守資訓で之れも寛永二年になつて再ひ大河内氏と交代になつた、封禄七万石当
時大河内氏は信親の子信復の代であつたが、夫れから信礼、信明、信順、信宝、信璋を経
て信古に至つたので、之れが最後の城主で吉田城址は今の歩兵第十八聯隊の営舎がある処
である。
仁連木城…其来歴と宗光…重貞の戦死…
天正の戦…康長の戦功……………………
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