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橋市の区域は豊橋町、豊橋村、花田村、豊岡村の一町四ヶ村であつた、其の内豊橋町に属
する戸数は三千五百九十七戸、人口一万二千三百三十九人を算し、夫れから明治二十八年
一月に豊橋町と豊橋村の合併が行はれ、明治三十九年七月更らに花田豊岡の二村も之に合
併し、続いて仝年八月市制施行地となつたのであるが、当時の戸数は九千九百戸人口三万
七千六百三十五人であつたが、明治四十一年十一月第十五師団の設置により、膨脹し翌四
十二年には戸数一万一千七百五十九戸人口四万四千六百八十七人となり、大正九年の国勢
調査で人口六万五千百六十三人であつたのが、五年後の大正十四年第二回の国勢調査では
八万二千三百七十一人を数ふるの状態に至つたのである、師団廃止後蚕糸業の発達により
影響する処極めて尠く将来益々発展の趨勢を示して居る。
豊橋市は三河の東南に在つて北は豊川と朝倉川との水流を境となし、南は柳生川で限られ
て居るから地形は東西に延びて南北に短かい、即ち南北二十八町三十間であるのに、東西
は二里十八町二十間である。而して之れが東経百三十七度二十三分三十秒、北緯三十四度
四十五分四十秒と云ふ位置で総面積は僅かに一方里強、豊川に沿ふた方の低地は概して沖
積層であるが、市街の大部分は高地で多くは古生層である。気象は其の年に依つて多少の
差はあるが最近の調べに依ると、最も暑さの厳しい七、八月の温度が三〇、七乃至三〇、八
最も寒い一、二月が○、二乃至一、二で之れを平均すると、七、八月の二八、○乃至二八、四と
一、二月の五、一乃至六、九が普通の温度で、降雹降雪等も少く、降雨適量晴曇又余り申分
はない、唯だ困らせられるのは風丈けである。豊橋地方を吹き捲くる風は三河の空ッ風と
称して、彼の上州の空ッ風赤城颪しと共に昔から天下に知られて居る。
豊橋市は現今四十一個の町即ち
船町、湊町、上伝馬町、松葉町、本町、札木町、関屋町、魚町、指笠町、三浦町、花園町、新銭町、新川町、
中柴町、萱町、呉服町、曲尺手町、鍛冶町、下町、西八町、中八町、東八町、清水町、神明町、紺屋町、手間町、
吉屋町、飽海町、旭町、東新町、西新町、談合町、中世古町、向山町、岩田町、岩崎町、飯村町、三ノ輪町、
瓦町、東田町、花田町、
等を以て区画し各町には町総代が置いてある。町総代は町民の自由選挙に依り直接間接市
の補助機関となつて居る。而して以上四十一ヶ町を通じて本年六月末現在総戸数は一万六
千余戸総人口九万一千余人の多きに達して居るが、戸口共に尚益々増加せんとする趨勢を
見せて居る。富力の程度に就いては却々調査が困難であり到底之れを明瞭的確にする事は
期し難いが、併し大体に於ては貧富の懸隔が少ないのは何人も一致する観察で、其の半面
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