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翻刻
―第十三章 兵事
三〇四
て、道案内に便し、各町に標札を設け、出来得る限り街路を修理して、清潔を保たしめ装飾を施し、駅前に事務所を置き
て、歓送迎は言ふに及ばず、手荷物の配達等の便宜をも図れり。斯くて南北両軍に分れたる猛将勇卒は、一週間に亘りて硝
煙弾雨に沐し、烈風強雨を物ともせず、互に陣地の略奪攻撃に、昼夜を分たず対抗激戦を以て最新兵器の威力と、最新戦術
の長所とを発揮し、幾多の智識と資料とを得て、能く当初の目的を達することを得たり。而して演習最後払暁の如きは、
雲集せる在郷軍人、青年団、教員団、地方民衆等無慮数万人に達し、泥濘脚を没する中に立ちて、よく徹宵陪観せり。面
して一戸総監は、七日午後三時第十八連隊練兵場に於て、演習講評をなし、続いて見学及び参加の将校地方官民陪観記者等
を同連隊将校集会所に招待して盛宴を催し、以て今回に於ける大演習の慰労とし、市も亦一大歓迎会を開きて、この貴顕将官
を招待し、山梨中将の挨拶ありたり。かくて実弾演習は其後九日まで連続し、首尾よく此大演習を結了せり。この未曾有
の大演習に於て在郷軍人、青年団、消防隊等が整備に運搬に苦を厭はず労を辞せず、進んで之が任務に当れり。殊に岩崎
青年会が豪雨を犯し、徹宵道路の改作改修を敢行して、御野立所に行啓遊ばさるゝ自動車の運転を可能ならしめたるが如
きは当市の誇とする所なり。
◇騎兵特別演習 大正十一年十月二十日本市付近に於て騎兵特別演習を施行せられ、閑院宮殿下(龍拈寺御宿泊)
並びに賀陽宮殿下(原田覚次郎氏宅御宿泊)の両殿下演習御見学の為御来豊遊ばされたり。御到着並びに御出発に際し
市長以下市吏員、公識者、各学校職員生徒、在郷軍人、等御出迎及御見送り申上げたり。
◇師団対抗演習 大正十三年十一月師団対抗演習挙行され、久邇宮殿下(岡田屋旅館御宿泊)は演習御統監の
為、閑院宮殿下(服部弥八氏宅御宿泊)梨本宮殿下(今西卓氏宅御宿泊)の両殿下は御陪観の為、御来豊遊ばされたり。
右につき、吉川市長、神戸市会議長は、御機嫌奉伺の為御旅館に伺候御附武官を経て、真綿一箱並びに葡萄一籠を献上せり
十九日三宮殿下には第十八連隊に成らせられ、市内小学校生徒の運動遊戯を御台覧遊ばされたり。
△満州駐剳軍の送迎慰問
大正十年三月第十五師団は満州駐剳の大命を受け、一部の留守隊を衛戌地に留め、主力を以て南満州鉄道沿線各地に駐
屯することゝなりし為、本市は渥美郡尚武会と連合して、三月二十四日八町高等小学校に於て派遣将校同当官准士官を
招待し、盛大なる送別の宴を催せり。次ぎて三月より四月に亘り逐次豊橋駅を出発する派遣部隊に対し、一般市民各学校
生徒、在郷軍人、青年団等は盛なる敬送をなし、停車場前には市吏員出張所を設けて、敬送に関する事務を処理せり。駐
屯中は随時信書に依りて専ら慰問に努めたりしが、更に市民の熱誠を駐剳将士に伝へんが為め本市助役石田甲太郎氏は橋
本書記を随へ十年十月二日出発旅順駐屯の歩兵第六十連隊を初めとし順次北上して「ハルピン」に駐剳の歩兵第十八連隊
及東支沿線駐屯の各隊を慰問せり。翌十一年には市会議長金子丈作、市会議員村上芳次郎、野澤藤五郎の三氏並びに橋本
書記の一行は十月二日出発、前回同様慰問の上、酒肴料を贈りたり。
大正十二年三月には、二箇年に亘る駐剳の大任を終へて帰還する軍隊を、派遣当時同様盛大なる歓迎をなし細谷市長、
岡田市会議員、橋本書記の一行は、師団司令部歓迎の為、四月六日神戸市に出張し、野澤、金子、服部、小山、村上、安
藤、河合、長岡の各市会議員は四月二十四日、熱田港に出張歓迎せり。五月十二日本市は渥美郡尚武会と連合して、八町
高等小学校に於て、帰還各隊の准士官以上を招待して、歓迎会を催し尚下司官以下に対しては酒肴料を贈り歓迎の意を表せ
り。
△軍備整理に伴ふ送迎
―第十三章 兵事
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