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翻刻
―第二章 変遷 二二
新銭町 旧幕時代には散地と称し、羽田地、野田地、馬見塚地等の錯綜せる所なりしが、明治九年之を二分して、豊
橋村と豊橋町とに分属せしめ、更に明治二十八年町村合併の結果、村に属せし分を新川町、町に属せし分を新銭町と称す
るに至れり。
新銭の名称は寛永十四年幕府の鋳銭所を設けられたるによるものにし
て、当時幕府は新銭鋳造を企て、前年は江戸及び近江の坂本に於て寛永
通宝を鋳造せしめしが、十四年
更に水戸、仙台、吉田、松本、
高田、長門、備前、豊後、中川
内膳領内に於て鋳造せしむるこ
ととなれり。吉田は我豊橋にし
て此処にて鋳たる寛永通宝は俗
に二水永と称するものにて有名
なる吉田の駒曳は当時の鋳造にかゝる。
新川町 新銭町の南に連れるを新川町といふ。元は新銭町の一部なりしが、
明治二十八年豊橋町と豊橋村との併合の際今の名に改めたるものなり。
中柴町 中柴は新川の南に連れり電車通りに面せり。
花田町 市の西部一帯の称にして、南端より北端に及び、維新前は即ち羽田、
【図の説明】吉田銭
【図の説明】三河銭
【図の説明】花田城海津踏切陸橋附近
花ヶ崎の二ヶ村なりしが、維新以後花田村と称するに至れり、羽田の地名は頗る古きものにて一千年の昔既に秦御厨と称
し伊勢の神領たりしを示せり、其区域広濶に過ぐるを以て今は仮りに、地域を松山、石田、花中郷、野黒、羽根井、立花、
羽田中、百度、北側、中央、小田原、停車場、城海津、石塚、池田、守下、西宿、狭間十八小区に分てり、鉄路此地区を貫
走し、豊橋駅、吉田駅、新豊橋駅皆こゝに在り運輸交通の衝に当れるを以て、近年製糸工業盛に興り、今や全く市の工場
地帯として繁盛を呈するに至れり。
【図の説明】昔の吉田
―第二章 変遷 二三