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―第二章 変遷 二〇
されど今は空しく崩されて歴史を語る跡なきは遺憾とする所なり。
八町通りは昔八町一丁目、二丁目、三丁目と称したりしが明治十一年十二月南仲町と合併して単に八町と呼び仝十九年
七月更に宮下町、袋町、東町、八幡町、川毛町の六ヶ町を合併し仝廿八年一月現称に改めたり。
関屋町 西八町の西端に接し南北に通す。その豊川に臨める所は、即ち永禄八年酒井忠次が土橋を架設したる所なり
とす。此地河辺に添へる一帯の地に百花園あり、廃藩后草花を栽植し文人墨客の閑居せしもの多かりしが、今は殆どその
面影なし。
松葉町 上伝馬西裏より、花田に至る一帯の地にして、
旧藩時代に於ては市街の西端をなし、一盤町、二盤町、三盤
町は東部旭町と相対し西組の徒卒の住居地なりしが、停車場
設置以来其発展実に著しく殆んど旧状を有せず、近来其一部
は弦歌の衢と化し所謂松葉街をなするに至れり。
指笠町、魚町 指笠町は萱町の東にそれと丁字形をな
し、本町と腹背相接し魚町は指笠町の東に連り札木町の南に
並行し、魚市場の中心地として、魚商軒を並へ大正十五年一月幅員改修以来、全く面目を一新し益々繁盛に赴き市内一流
の街衢をなすに至れり。古来此地の魚市場は熊野神社の境内にて行はれ運上を取ることを許され、其後旧藩時代に至りて
も数戸の問屋町内に設けられ之れに関係の魚商は当町を初め、指笠町、萱町、並に今の花園町、新銭町、清水町などにも
軒を並べ繁盛を極めたりといふ。
【図の説明】松葉町停車場通
【図の説明】嘉永の頃の魚市場(吉田名蹤綜録所載)
吉屋町 吉屋町は魚町の東に連り以前は元鍜冶町と称せしが、明治十一年十二月世古町を合せ今の名に改めたり。
中世古町 中世古は龍拈寺境内の東に当り曲尺手町の南裏をなせるが、大正十四年六月曲尺手町と十字をなせる南北
貫通の道路竣工以来此辺の面目全く一新を見たり。
談合町 談合は中世古の東に連り其最端は鍜冶町の中央に通せり。
手間町 吉屋町の南方に並行せるものにして、昔は鉄砲町といひしが小笠原長
重の時今の名に改めたりといふ。
紺屋町 紺屋町は手間町の西に連る小衢に過ぎざりしが今は大手線に中り電車
通りとなる。
神明町、清水町 神明町は紺屋町の南に接し
一部は大手線に加はり、市内電車神明社前に於て
丁字形をなし市内有数の繁栄地となる。清水町は
神明町の西魚町の南にあり。
花園町 新銭町の北方にありて、魚町及清水
町等と丁字形をなせり。此辺一般に旧幕吉田時代
に於て、羽田村と錯綜したる所にして、下り町と抱六町との二ヶ町なりしが、明治二年元浜町及び豊楽町と称し、更に明
治十一年十二月合併して現称を用ゆるに至れり。
【図の説明】神明町丁字点
【図の説明】吉田駒曳銭
―第二章 変遷 二一