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―第四章 市政の沿革 三六
一級当選者
加藤倉次(七四) 内藤源蔵 (七二) 加藤久男 (六六) 外山芳太郎(六〇)
(補欠) (補欠)
大場儀平(五九) 家田徳次郎(五四) 杉田八五郎(六二) 西岡松枝 (五九)
斯る間に日清戦役の勃発に際会し、国を挙げて軍国の事に従ひし為め町政上格別なる変化も波欄もなかりしが、夙に問題
たりし豊橋村合併の議漸く熟し、明治廿八年二月廿五日其実施を見るに至れり。
告示第二十号 明治廿八年二月廿五日
県下渥美郡豊橋町及豊橋村ヲ合併シ豊橋町ト称ス
右町村制第四条ニ依テ処分ス
告示第百八号 明治廿八年十一月廿六日
渥美郡豊橋町大字豊橋町大字豊橋村ヲ左ノ通リ改称ス
大字豊橋町改称ノ分
船町、湊町、上伝馬、西八町、中八町、東八町、関屋、本町、札木、呉服、曲尺手、鍜治、下町
魚町、清水、神明、紺屋、手間、吉屋、松葉、萱町、指笠、三浦、新銭、花園
大字豊橋村改称ノ分
飽海、旭町、東新町、西新町、談合、中世古、新川、中柴、向山
元来豊橋町と豊橋村とは往昔より一駅をなし吉田駅と謂ひ、豊橋町と称せしに明治九年其一部を分離して豊橋村を組織せ
しものなるが、其当時より至当の理由ありしにあらざれば両町村の間、種々利害の密着して離るべからざるの事情は依然
として存在し、為めに政務の施行を阻遏すること尠からざりしを以て明治廿七年一月豊橋町よりは町会の決議を以て其筋
に合併の請願をなし、終に其実現を見るに至れるものなるか、左記当時の請願書に依れは、其間の消息を明かにするを得。
明治二十七年一月十七日議決
一、豊橋町と豊橋村両町村合同の必要を認む依て別紙の通り愛知県参事会へ請顧ス
豊橋町豊橋村合同之儀ニ付請願
豊橋町長小野道平豊橋町会ノ議決ニ依リ愛知県参事会愛知県知事時任為基閣下ニ請願ス 我豊橋町ト豊橋村トハ往昔ヨリ相共ニ一駅
ヲナシ地勢相同シク境界犬牙錯雑シテ加フルニ人家連檐接続シ就テ之ヲ視ルモ猶ホ容易ニ其豊橋町タルト豊橋村タルトヲ識別スヘカ
ラサルカ如シ此故ニ人情風俗亦タ同一ニシテ隣保団結ノ旧慣誠ニ深シ然ルニ明治九年初メテ其ノ一部分ヲ割キ今ノ豊橋村ヲ組成セシ
モ素ヨリ地勢人情風俗ノ異ナルカ為メニアラス当時改租ノコトアリシヲ以テ諸税ノ負荷是ヨリ漸ク当サニ町村ノ軽重ヲ異ニスヘシ
トノ妄説ニ迷惑セラレ遂ニ漫然此失計ヲ取リシニ過キス去レハ分立シテ一村ヲ組成セルモ我豊橋町ト相関聯シテ離ルヘカラサルハ依
然事実ノ上ニ存シ彼ノ町村ニ最モ重大ノ責務タル教育ノ如キハ町村分立セルニモ抱ハラス尚ホ且ツ其事務経済ヲ共ニシ殊ニ明治二十
五年新学令実施ノ際ノ如キ豊橋村ニ於テハ独立シテ普通教育事務ヲ経理スル能ハサルノ事情アリテ昨年三月遂ニ其事務ノ全部ヲ挙ケ
テ我豊橋町ニ委託スルノ止ムヲ得サルニ至レリ又衛生事務ノ如キモ明治十九年避病室健設以来両町村相共同使用スルノミナラス悪水
路ノ浚渫改良ノ如キ或ハ道路橋梁ノ修補改築ノ如キ両町村ニ跨ル処甚タ多ク為メニ複雑ナル手数ヲ要シ遂ニ改善ノ計図ヲ阻隔スルモ
ノ一ニシテ足ラス其他商業ニ交通ニ警察ニ比々皆然ラサルハナシ然ルニ明治廿二年町村制実施ノ当時尚ホ豊橋村ヲ存立シテ一村トナ
ス是レ大ニ其当ヲ得サリシモノト云フヘシ上来陳フル処ノ如ク我豊橋町ト豊橋村ト相関聯シテ離ルヘカラサルハ之ヲ過去ノ歴史ニ照
―第四章 市政の沿革 三七