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―第七章 市の経済及税務 一三四
税制限法に依り、県税は本税百分の三十六、市税は本税百分の十四と定め、以て現今に至れり。
◇営業税附加税 明治二十七八年日清戦役後国税整理をなし、明治二十九年三月法律第三十三号を以て国税営業税
法を施行せらる。仝時に営業税附加税を創設し、県税は本税十分の二、市税は本税百分の五十と定めたり。後明治四十一
年法律第三十七号を以て県税は本税の百分の二十五、市税は本税の百分の三十五に改正し、其后多少の変遷を経て、大正
九年法律第三十七号を以て、県税は本税の百分の二十九、市税は本税の百分の四十七と制限し、以て現今に至れり。
◇売薬営業税附加税 売薬税法は明治三十一年五月法律第七十一号を以て創設せられ、明治四十四年法律第四十
二号の改正に依り、仝時に売薬営業税附加税の制を設けられ、県税は本税百分の三、市税は本税百分の五以内に制限課税
したるが大正十二年度に於て廃止せられたり。
◇特別市税芸妓置屋税 明治四十一年三月第三十九号議決を以て創設せり。当時第十五師団新設に伴ひ、戸数は著
しく増加し、道路は狭隘を感じ、新に国道より分岐して師団に通ずるものとを開鑿し、且つ小学校令改正修業年限の延長
に伴ひ、教室増築等の新規計画の必要上、起債二十万円の許可を得、其元利償還に要する財源の一部に補充するために、
新設せしものなるが大正八年度限り癈止せり。
◇特別市税土地建物所有権移転税 明治四十一年三月第三十九号議決を以て、前項芸妓置屋税と仝時に創設せし
も、当時其の筋の歩一税、即ち不動産所税得、不動産所有権移転税等に関する許可標準の内規に種々の条件あり。時機尚
早と認め、明治四十一年度限廃止せり。
◇特別市税遊興税 遂年就学児童の増加に伴ひ、教室の不足且つ校舎の腐朽等教授上至大の支障を来たし、他面
道路下水の施設改善等、新規事業の計画遂行上新たなる財源を要し時代に順応したる新税として、大正八年八月第四十六
号議決を以て創設せり、施行以来種々の困難に遭遇せしも、本税普及の徹底に勉め、漸次相当の成績を呈せしも大正十五
年度は県税遊興税附加税として徴収する事となり、県税雑種税遊興税を、賦課する期間其施行を停止したり。
而して遊興税附加税徴収義務者の組織したる組合にして、徴収成績良好のものに対し払込毎に徴収金の百分の四の割合
を以て奨励金を交付するの規程を設けたり。
◇特別市税観覧税 大正八年八月第四十七号議決を以て遊興税と同時に創設し、現今に至れり。
◇戸数割家屋税 戸数割は生活分限税にして、家屋税は収益税又は物件税なり。戸数割は明治十一年太政官布
告第十九号地方税規則に端を発し、仝十三年廃止、更に仝年太政官布告第十七号を起し、最近に至る。其賦課方法区区な
りしを以て、大正十年十月勅令第四百二十二号を以て之を統一せり。家屋税は明治十五年郡区部会規則を以て、始めて市
部に之を認むるの端を発し、明治二十一年大蔵省告示第九十五号、及び明治三十三年法律第三十号府県税並に明治三十二
年勅令第二百七十六号に依り、幾多の変遷を経過して、大正十年勅令第四百二十二号を以て統一の制度を設けられたり。
豊橋市は元豊橋町時代に於て従来戸数割制度なりしを明治三十年四月家屋税制度に更改せり県税は明治三十五年四月始め
て家屋税制度を採用し家屋税を賦課するに至れり。
市制施行当時は元豊橋市賦課個数四十七万八千八百九十九個此現在戸数七千八百五十七戸、元花田村一千三百四十八戸
元豊岡村六百九十五戸、合計戸数九千九百戸、人口三万七千六百三十五人にして、元花田村元豊岡村は、戸数割制度なり
しを明治四十年四月家屋税制度に統一せり。大正六年一月県令第九号県税賦課規則を制定し現今に至れり。
◇賦金 明治七年太政官布告第七号を以て僕婢、馬車、人車等諸税の歩増並に劇場、芸妓等諸税の各府県限り
収入せるものは自今賦金と唱ふべしとて、此の時始めて賦金の制度を創設せり。明治二十一年八月閣令第十二号を以て、
―第七章 市の経済及税務 一三五