翻刻
の活業(ずきはひ)をばなしけるが、顔容(みめ)よき一人(ひとり)の娘(むすめ)ありて過(す)ぎつる
頃(ころ)、或(あ)う侯家(やかた)に宮仕(みやつが)へさせけるに、そが君(きみ)の寵愛殊(ちようあいこと)の外厚(ほかあつ)く、
終(つゐ)に情(なさけ)のたねを身(み)に宿(やど)すまでには至(いた)りしが、余(あま)りにそが父(ふ)
母(ぼ)の賎(いや)しき者(もの)なればとて、私(ひそ)かに黄金抔(こがねなど)を添(そ)へ、産落(うみをと)すまで
親許(おやもと)に預(あづ)けられぬ、然(しか)るに親爺(おやぢ)は此娘(このむすめ)を連(つ)れ祭見(まつりみ)に行(ゆ)きた
りけるが、遂(つゐ)に親子(おやこ)とも水(みづ)に陥(をちい)りて、死(しゝ)たり、近所(きんじよ)の者(もの)ども此(この)
場(ば)にありて死骸(しがい)の上(あが)りたるを見(み)、不憫(ふびん)に思(おも)ひてそが家(いへ)まで
送(をく)り遣(や)りければ、老婆出(らうばい)でゝ|礼(れい)をも陳(の)べず其侭夫(そのまゝおツと)が屍(かばね)に喰(くひ)
付(つ)き、打叩(うちたゝ)きて、如何(いか)に我娘(わがむすめ)をば殺(ころ)せしぞ、元(もと)の侭(まゝ)に為(し)て返(かへ)せ
能(よ)くも〳〵も黄金(こがね)の蔓(つる)をば断(た)ちしぞと、死(しゝ)たる事(こと)をば少(すこ)し
も歎(なげ)かで、只(たゞ)それのみを恨(うら)みたりしと、実(じつ)に浅間(あさま)しかりける
事(こと)どもなり(右小日向の住白水翁の記録)
○義(ぎ)を重(おも)んじて愛(あい)を後(のち)にす
何方(いづく)の人(ひと)にてありけん歴〻(れき〳〵)の御息女(ごそくじよ)、奥方(おくがた)とも見(みゆ)る扮装(いでたち)し
たる二人(ふたかた)の婦人(ふじん)に付添(つきそ)ひし用人(ようにん)らしき一人(ひとり)の侍(さふらひ)、我(わ)が子(こ)と
見(みえ)て兄(あに)は十二三、妹(いもと)は七八|才(さい)ばかりなる両人(りやうにん)の子供(こども)を連(つ)れ
られしが橋落(はしをち)し時主徒親子合(ときしやうじうおやこあわ)せて五人、皆残(みなのこ)りなく水中(すいちう)に
陥(をちい)りたり、其時彼(そのときか)の侍(さふらい)には取(とり)すがる我子兄弟(わがこけうだい)には目(め)もかけ
で、二人の奥方(おくがた)と息女(そくぢよ)とを、救(すく)ひあげ再(ふたゝ)び来(きた)りて、兄弟(けうだい)を救(すく)は
んとしたりしが、ハヤ何(いづ)れへか流(なか)れ行(ゆ)きて、そが行方(ゆくゑ)をさへ
見失(みうしな)ひしは最(い)と憫(あわ)れなる有様(ありさま)にてありきと、見(み)たる者(もの)より
聞(きゝ)つる侭(まゝ)を記(しる)す
○怨霊(ゑんれい)の空言(そらごと)
箕輪(みのわ)の関(せき)某が隣藩邸(となりやしき)に仲間奉公(ちうげんぼうこう)して居(ゐ)たる者(もの)、此日水(このひみづ)に陥(をちい)