翻刻
下石津郡 高須町 六二六 二一二 二五 二、四五八 一六 二五 ―
多芸郡 高田町 五七二 一八 二 二、三五三 一 一一
安八郡 大垣町 四、五〇四 三、三五六 九六二 一七、五一六 七八九 一、二七〇 一、四七三
同郡 今尾町 五七三 五〇三 六一 二、四七六 六八 六〇 ―
不破郡 垂井町 五六三 二 二 二、三三八 一 ― ―
大野郡 揖斐町 八〇二 六〇 二〇 三、四二二 五 二〇 ―
池田郡 池野村 三三二 五三 六六 一、一三九 一 一〇 ―
本巣郡 北方町 八〇四 六一七 一八七 三、三六四 八七 二二五 ―
山県郡 高富村 四六一 四一三 ― 一、七四六 八七 一五八 ―
同郡 関町 一、二五六 二二六 四一六 五、〇三三 四五 七五 九二
武儀郡 上有知町 八三六 二 六 三、四五八 ― 一 ―
加茂郡 太田町 五一九 二三 五〇 二、二三四 ― 三 ―
可児郡 御嵩町 三三三 四 一〇 一、二八五 ― ― ―
土岐郡 多治見町一、五七七 四 一二 六、七六三 ― 三 ―
同郡 土岐津町 五〇三 三七 三三 二、三三八 ― 四 ―
(備考)岐阜市焼失戸数は総戸数の半にも足らざれとも市中の大厦高屋は悉く鳥有に
帰し余す所は《ルビ:辺偶|へんがう》小民の細屋なるを以て其戸数の少きにも拘らず其《ルビ:区域|くいき》は殆ど全
市の九分通に当るものとす(岐阜県)
《ルビ:又此|またこの》の震災に《ルビ:付|つき》小崎岐阜県知事より内務大臣へ《ルビ:差出|さしだ》されたる報告書は《ルビ:左|さ》の《ルビ:如|ごと》し《ルビ:但|たゞ》し此
《ルビ:報告|ほうこく》は地震の翌日取敢へず《ルビ:其|そ》の概略を《ルビ:報|ほう》ぜしまでに《ルビ:止|とゞ》まり末た《ルビ:尽|つく》さゞる《ルビ:所多|ところおほ》し《ルビ:故|ゆゑ》に《ルビ:其|その》
《ルビ:委|くは》しき《ルビ:事|こと》は一〻震災市町村の部に《ルビ:掲|かゝ》げたる《ルビ:記事|きじ》を《ルビ:参看|さんかん》せよ
震災報告
《ルビ:明治|めいぢ》廿四《ルビ:年|ねん》十月廿八日午前六時三十七分《ルビ:劇烈|げきれつ》なる地震《ルビ:起|おこ》り地裂け家倒れ《ルビ:人死|ひとし》するも
の《ルビ:其数|そのかず》を《ルビ:知|し》らず《ルビ:加|くは》ふるに《ルビ:火災|くわさい》之に次ぎ其惨害実に《ルビ:名状|めいじやう》すべからず《ルビ:就中|なかんづく》岐阜市《ルビ:及|およ》び安
八郡大垣町羽栗郡笠松町武儀郡関町《ルビ:等被害最|とうひがいもつと》も《ルビ:甚|はなはだ》しく岐阜市は《ルビ:家屋崩壊凡|かをくほうくわいおよ》そ全市
四分の一に《ルビ:及|およ》び《ルビ:死傷者算|しゝやうしやさん》なし火災六ケ《ルビ:所|しよ》に《ルビ:起|おこ》り《ルビ:中|うち》三ケ《ルビ:所|しよ》は《ルビ:直|たゞち》に消留二ケ《ルビ:所|しよ》は一二ケ
町を《ルビ:焼|や》き《ルビ:今|いま》一ケ《ルビ:所|しよ》は延焼の数巨大にして《ルビ:即|すなは》ち大字鍛冶屋町に《ルビ:起|おこ》り下新町に《ルビ:至|いた》り再び
鍛冶屋町に《ルビ:出|い》で珠城町に《ルビ:移|うつ》り《ルビ:是|これ》より火勢二派に分れ一《ルビ:方|はう》は加茂竹屋町靭屋町末広町
米屋町桜町矢島町松屋町常盤町笹土居町上竹町太田町小熊町に《ルビ:至|いた》り二十九日午前七
時《ルビ:鎮火|ちんくわ》し《ルビ:又|また》一《ルビ:方|ほう》は東西材木町加和屋町魚屋町今町に《ルビ:至|いた》り《ルビ:今尚熄|いまなほや》まず火勢漸く《ルビ:北進|ほくしん》す