みんなで翻刻ver1

コレクション: STAGE2

愛知岐阜福井三県 大地震見聞録(内題) - 翻刻

愛知岐阜福井三県 大地震見聞録(内題) - ページ 46

ページ: 46

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人井戸端に居らば一命も助かるべきに《ルビ:座敷|ざしき》に寝させ置たる《ルビ:乳呑児|ちのみご》を救ひ出さんと其儘 屋内へ駈け入りし《ルビ:時屋根|ときやね》は一度にメリ〳〵と崩れ落ち《ルビ:母子|おやこ》とも《ルビ:押|おし》に打たれて即死せり 《ルビ:後|あと》にて死骸を引出し見れば細君は《ルビ:襷掛|たすきがけ》にて右の手に《ルビ:米粒|こめつぶ》の《ルビ:塗|まみ》れ付たる儘我児を《ルビ:抱|いだ》き赤 児の顔へ《ルビ:黒血|くろち》を《ルビ:吐掛|はきかけ》ながら《ルビ:重|かさ》なり合ひて死し居たる《ルビ:様無残|さまむざん》といふも愚かにて《ルビ:斯|かゝ》る変災 の《ルビ:折|をり》とても子を思ふ親の《ルビ:慈愛|いつくしみ》はかほどまでに厚きものかと《ルビ:観|み》る人《ルビ:涙|なみだ》を流ざ〻るは無か りしとなん ○大垣の旅舎 大垣にては震災後《ルビ:各地|かくち》より入り来る者多く《ルビ:殊|こと》に垂井より汽車開通以来 愈〻其数を《ルビ:増加|ぞうか》するの傾きあるも同地の旅舎は《ルビ:悉く|こと〴〵》倒れたれば旅人は《ルビ:宿泊|しゆくはく》する所なく 《ルビ:大|おほ》いに困難することなるが警察署にては此に《ルビ:注意|ちうい》し同地の旅舎営業人京丸屋、安田屋 其他の同業者を《ルビ:喚出|よびいだ》し此際速かに仮小屋にても作り《ルビ:旅人|りよじん》の《ルビ:宿泊|しゆくはく》に便ならしむる様説諭 する所ありし由 ○戸田家の義捐 旧大垣藩主伯爵戸田氏共氏は《ルビ:今回震災|こんくわいしんさい》の報に接するや早速実況視察 として大垣《ルビ:地方|ちはう》に出張中なりしが今度右罹災人救恤費の内へ三千円を《ルビ:寄附|きふ》し且同 伯母堂よりも金百五十円を《ルビ:義捐|ぎえん》したりと又同伯彼地出張中は《ルビ:親|した》しく震災地を巡廻して 《ルビ:罹災者|りさいしや》を《ルビ:慰問|ゐもん》し且松方総理大臣に大垣地方の《ルビ:実況視察|じつきやうしさつ》を請ふなど尽力到らざるところ なかりしかば同地人民は《ルビ:深|ふか》く旧主の厚意に感じ同伯帰京の《ルビ:際|さい》などは全町混雑中にも拘 はらず《ルビ:旧臣数|きうしんす》百《ルビ:名|めい》何れも町《ルビ:外|はづ》れまで見送りたるよし《ルビ:又同地|またどうち》はかね〴〵水災の烈しき処 なれば今回の《ルビ:頽廃|たいはい》を機とし更に《ルビ:高燥|かうさう》の地を選みて移転する方可ならんとの《ルビ:説|せつ》もあるよ しなれど是には《ルビ:多分不同意|たぶんふどうい》の者多かるべしとのことなり ●笠松の震災 羽栗郡笠松町は木曽川の《ルビ:堤防|ていばう》に沿ひたる一市村なるが《ルビ:今回|こんくわい》の大地震 にて市街の家屋八分通りまで《ルビ:崩潰|ほうくわい》し次で《ルビ:火災|くわさい》数ヶ所に起り倒れたる家は《ルビ:素|もと》より漸く震 災を免かれたる《ルビ:家屋|かをく》までを焼尽し殆ど全市街の九分通りまでを《ルビ:烏有|ういう》に帰せしめたり然 れば今日《ルビ:生存|せいぞん》せる者は孰れも一度は《ルビ:倒家|たふれや》の為めに押に打たれ辛うじて命を《ルビ:助|たす》かり我家 を這出る頃は早や八方より火の《ルビ:手起|ておこ》りて家財衣類を《ルビ:持出|もちだ》すべき遑なく父兄の生ながら 《ルビ:焼殺|やきころ》さる〻を見つゝ我のみ《ルビ:生残|いきのこ》りたる者のみなれば《ルビ:所謂着|いはゆるき》の《ルビ:身着|みき》の《ルビ:儘|ま》にして其日より 早一碗の食さへ無き者最も《ルビ:多|おほ》し元来笠松町は近隣の各町村と異なりて《ルビ:商業専務|しやうげふせんむ》の地な