翻刻
ほのかに見ゆる由出漁する者の話也と村夫某予に語りぬ
谷陵記には此事を論して未詳其実否とはあれとも
左の古伝も捨かたけれは参考の一助に備ふ
〇幡多郡御坊畑村荘屋年譜并先祖書抜書二云
御国南東寺ゟ足摺山ノ間地方弐拾六万石有と云御国内
高十二郡ノ内大方郡あだち郡黒田郡とふ田郡しのふ郡
五郡人王四十代天武天皇御治世ノ内白鳳十三年十月十四日
大地震浪高き事不及申当御郡上山郷ノ内片平と
申所二半身魚懸り居申二付片魚村と申同入野郷八丁山
船の梶八丁懸り候二付八丁森と申候又上田ノ口村の南田野浦
境山浪流越此山を流越と申候土左南二五万頃海に成
其外御国中神社仏殿在家くつれ流と云々有之
又谷陵記に宝永以前慶長九年の大変は僧の暁印か
記録の畧に見たへつるまゝを記したれは其書見まほしくて
探り求つるに頃旦書を得て見るに紙数二三枚の物に而
いかにも筆記の略なれは後世散失の程を察し左に
加へ置ぬ文体可笑事多しといへとも其実は見たて殊勝
に覚ゆ其世の質朴おもひやるへし
〇干時慶長九甲辰国々諸難立起事
夫我朝天地かいへき神武天皇以来百〇代御時将軍